掲載日 : [2019-07-10] 照会数 : 6716
よみがえる旧「満州」朝鮮人移民の記憶…写真集出版
[ 「李光平写真集」の表紙 ] [ 「写真集」の出版を記念しての作品展示会(高麗博物館) ] [ 「写真集」の出版を記念しての作品展示会(高麗博物館) ]
李光平さん 延辺地区で20年600人に写真取材
東京外国語大学研究チームが出版
中国吉林省延辺朝鮮族自治州で生きる朝鮮人移民1世の写真記録集が『「満州」に渡った朝鮮人たちー写真でたどる記憶と痕跡』(東京外国語大学「李光平写真集」刊行委員会)と題して出版された。本書に寄稿した李光平氏(74)は1990年代後半から20年以上、延辺7つの県と市を隅々まで踏査、約600人にインタビューし、写真とビデオ撮影を重ねてきた。
李氏は「ドキュメンタリー写真家」として「主観が入り込まない中立的立場」で淡々と被写体に向き合ったという。最初の動機は「興味から」だったが、やがて「私たちの民族の歴史を残すんだ」という使命感に変わった。バイクを使って走破した距離は5万㌔を超えた。
主な被写体は集団移民経験者、旧日本軍の強制徴用経験者、旧日本軍「慰安婦」被害者など。刊行委員会では「実際の体験者の姿と声が直接に収められたおそらく日本では最初の写真記録集」と話している。
ページを開く。洗濯に欠かせない砧(きぬた)や料理で使う臼、餅蒸し器、開墾用の鍬など、故郷から持ち込んだ貴重な生活用具も記録されていた。かつて集団部落があった安図県で暮らす金鉉鎰さんが大事に抱えているのは家族の族譜だ。
朝鮮総督府による本格的な集団移民は1937年から始まった。受け入れた「満州国」の関東軍は移民を中国共産党傘下の東北抗日聯軍が頻繁に出現するへんぴな山奥や農村に配した。いわば植民地統治強化のための「防御壁」としたのだ。
現地では日満警察隊や治安隊との間で戦闘がひんぱんに起こり、朝鮮人移民は夜もおちおち眠ることはできなかったと証言している。一方で朝鮮人移民は水田を開発し、中国東北部に稲作を普及させた功労者しても知られる。
李さんは16年12月、東京外国語大学が科学研究費補助金を使って開催した国際シンポジウム「植民地を移動した<在満>朝鮮人の生活と抗日~その記憶と痕跡を移民史・オーラルヒストリーでたどる」で「延吉県集団移民史の証人たち」と題して発表。東京外国語大学の研究者たちに感銘を与えたことから刊行委員会の発足につながった。
2400円+税。世織書房(045・317・3176)。
出版記念講演会 高麗博物館で
李光平氏は「<在満>朝鮮人の移動と生活を記録する~延辺地区フォトインタビュー調査20年の経験から」と題して6月29日、東京・新宿のミニミュージアム高麗博物館で講演を行った。
同館が東京外国語大学「李光平写真集」刊行委員会と共催した李さんの写真展「植民地朝鮮から『満州』に渡った朝鮮人移民」に合わせての記念企画。会場は100人で満員になった。
(2019.07.10 民団新聞)