【23日目】(釜山~対馬)いよいよ日本コースへ。対馬への高速船はそれほどゆれることも無く厳原港に到着。歓迎式会場では、比田勝尚喜市長、松原一征・朝鮮通信使縁地連絡協議会理事長らが迎えてくれた。昼食後は宗家ゆかりの地などを訪問。夕食会はユネスコ「世界の記憶」登録後初めてのウオークだけに盛り上がった。
【24日目】(対馬~壱岐)芦辺港から地元の人も加わり市役所までウオーク。歓迎会では壱岐名産の焼酎が差し入れられた。一支国博物館や原の辻遺跡を見学した
◆慰霊碑に献花
【25日目】(壱岐~博多~呉)博多からは貸切バスで下関へ。朝鮮通信使上陸の碑を見学し、広島・平和公園へ。韓国人原爆慰霊碑に参拝して献花した。
【26日目】(下蒲刈~鞆の浦)下蒲刈の「ご馳走一番館」で朝鮮通信使への料理(模型)などを見学。小学校で子どもたちが太鼓演奏の歓迎会。鞆の浦では通信使がその風景をめでた「対潮楼」で第1次の地元ウオーカー、康静春さん司会の歓迎会が行われ、通信使ゆかりの地の一夜を楽しんだ。
【27日目】(鞆の浦~瀬戸内市)鞆の浦で朝鮮通信使の資料を展示する歴史民俗資料館を見学。対潮楼で「朝鮮通信使と鞆の浦」のミニ講義を受け、町並みや港を見て回った。
【28日目】(牛窓~大阪)通信使が宿泊した本連寺で朝鮮通信使が書き残した詩文などを特別に見ることが出来た。この港町は水が豊富でなく、通信使のために特別に作られた井戸などを見学。
◆大阪で出発式
【29日目】(大阪~枚方28㎞)いよいよ日本コースがスタート。新緑が美しい大阪市役所横で出発式。懐かしい日本のウオーカーとの再会を喜ぶ韓国ウオーカーの顔がほころぶ。宣相圭・韓国隊長は「みなさんと仲良く歩いて東京を目指しましょう」とあいさつ。大阪からはロシア人のウラジミール氏も加わりにぎやかな顔ぶれ。連続参加の金承南さんと李恵美子さんも元気な足取り。淀川河川敷の公園は、いつもはたくさんの家族連れで一杯だが「10連休」の影響か遊ぶ人はまばら。川風に吹かれながら心地よい歩きで枚方に到着し、旗手を務める増田隆さんの幼馴染たちに迎えられた。
◆初めての雨
【30日目】(枚方~京都31㎞)韓国ではほとんど雨に降られなかったので、初めての雨らしい雨。強い風を避けて淀川河川敷の川沿いを進むと道はゴルフ場にぶつかる。土手に上がり国道沿いを進む。雨が上がった昼食後は蒸し暑くなる。三条大橋にゴールすると友人ウオーカーの冷たいビールの歓迎が待っていた。
【31日目】5月1日(交流日)高麗美術館で特別展示「語り継ぐ朝鮮の美」を鄭理事の解説を聞きながら見学。ユネスコ「世界の記憶」に登録された「馬上才」の絵を見ることが出来た。相国寺慈照院では朝鮮通信使が書き残した詩文などの実物を見学。
【32日目】2日(京都~草津27㎞)素晴らしい五月晴れ。少し肌寒い。三条大橋から歩き出し、大津の民団滋賀県本部で歓迎を受ける。韓国の女性ウオーカーは満面の笑顔で民団の女性たちと手を握り合い抱擁を交わす。朝鮮人街道と滋賀県出身の対馬藩の儒者、雨森芳洲の絵を示しながら解説してくれた。韓国チームはお礼にと琵琶湖の風に吹かれながら「マンナム」を合唱した。
【33日目】3日(草津~近江八幡23㎞)毎朝ストレッチ体操をしてからスタートする。今日は韓国コースのコースリーダー、洪淳彦さんが担当。明るく小気味いいタッチでみんなを笑わせる。釜山から夫婦で初参加の宗吉鎬・趙貞子夫妻はいつも手をつなぎながら歩く、まさに「おしどり夫婦」。約40㎞の朝鮮人街道は行列としては将軍と朝鮮通信使だけが通れた街道で葉桜の緑が美しい道の両側は田植えが真っ盛り。
◆お祭りに出会う
【34日目】4日(近江八幡~彦根27㎞)今回も東近江市でお祭りの行列に出会った。「お稚児姿」の少年に「可愛いよー!」と日韓の女性ウオーカーから声援が飛んだ。「孫」の姿を思い出したのかもしれない。全コースを歩く韓国の張正吉さんの次男、弘国さん(韓国のインターネット会社社長)は3日間飛び入り参加して歩き「アボジと今まで1日だけの山登りには行ったけど、3日間も一緒に過ごしたのは初めて。しんどかったがうれしかった」と喜んでいた。
【35日目】5日(彦根~垂井34㎞)摺針峠への上り道はわずか20分だが息が切れる。峠からは琵琶湖を遠望。中山道の宿場をつないで歩き垂井町(岐阜県)にゴールすると早瀬・町観光協会会長らが拍手で出迎え。韓国ウオーカー13人全員が今日はホームステイ。引き受けるホストファミリーと「ご対面」。前回と同じ谷口敏子さん家族との再会に朴海龍さんは顔をくしゃくしゃにして喜んでいた。そしてお土産を手にそれぞれの家庭に向かった。
朝鮮通信使友情ウオークの会 金井三喜雄=文・写真、大嶋敏晴=写真
(2019.05.22 民団新聞)