掲載日 : [18-06-06] 照会数 : 10856
解放直後に海難事故死の遺骨131柱 祖国奉還願い壱岐で法要
[ 壱岐市の天徳寺で営まれた安座法要式典 ]
【長崎】解放直後に海難事故で亡くなり、埼玉県所沢市の金乗院に長年安置されていた同胞の遺骨131柱が5月31日、海難現場近くにある長崎県壱岐市の天徳寺に移され、安座法要式典が営まれた。
民団から長崎本部の姜成春団長と福岡本部の李相鎬団長が参列した。
亡くなったのは解放の喜びを胸に帰国を急いでいた同胞たち。
急ごしらえの帰国船は9、10月にかけて九州・玄界灘を襲った台風の直撃を受けて海の底に沈んだ。死亡が確認されたのは少なくとも168人。
このうち、76年に市民団体が壱岐で収集した86柱と、厚生労働省が83~84年に対馬で収集した45柱の計131人分の遺骨については遺骨を管理する日本厚生労働省が預かり、92年以降は金乗院に置いていた。
その後、韓日の僧侶などが「返還が実現するまで韓国に近い壱岐で預かりたい」と要望し、厚労省などと合意していた。
遺骨を受け入れた天徳寺は、解放後間もないころから慰霊行事を行っている。98年からは韓国・慶州市の水谷寺と交互に慰霊祭を営んできた。
法要には両寺の住職、遺骨返還活動に取り組む市民団体、厚労省担当者ら約60人が参列した。
ようやく遺骨が壱岐に戻ったが、帰郷への道はいまだ道半ばだ。
厚労省の担当者は「日韓で合意に至れば速やかに返還したい」とあいさつした。