掲載日 : [18-08-21] 照会数 : 14240
【韓国】南北離散家族、涙の対面
[ 20日、江原道高城の金剛山ホテルで開かれた第21回南北離散家族団体対面行事で、南側のハム・ソンチャンさん(99)が北側から来た弟のドンチャンさん(79)と会って抱擁している。(写真=共同取材団) ]
[ 南側のイ・グムソムさん(92、左)が北側の息子イ・サンチョルさん(71)に会った様子。(写真=共同取材団) ]
20日午後3時、江原道高城(カンウォンド・コソン)の金剛山(クムガンサン)ホテル2階の宴会場は一瞬にして涙の海に変わった。あちこちから大小のむせび泣きや号泣が響いた。南北離散家族が初日対面日程で会う席だった。「同胞の皆さん~兄弟の皆さん~このように出会えてうれしいです」という北朝鮮歌が始まった時は、しばらくはウキウキとした雰囲気だった。だがそれも何分も続かなかった。
およそ60年間、叫んでもその返事を聞くことができなかった息子はいつのまにか喜寿を過ぎて母親の懐に抱かれた。戦争の折に別れた南側のイ・グムソムさん(92)は北側の息子イ・サンチョルさん(71)を見るや「サンチョルや」と呼んで腕を大きく広げ、抱き合った親子は嗚咽した。サンチョルさんは母親に父親の写真を見せて「父の姿です。お母さん」と言って涙を爆発させた。イ・グムソムさんは戦争の際、家族と避難する途中で夫と息子サンチョルさんと生き別れ、その苦しみに耐え抜いてきた。
ユ・グァンシクさん(89)の表情には悔恨がいっぱいだった。彼はこの日、生まれたことすら知らなかった67歳の娘(ヨンオクさん)と初めて対面した。ユさんは新婚だった1951年1月4日の後退の時に妻と別れたが、妻が妊娠していた事実を知らずにいた。今回の対面が進められる過程で娘の「存在」を知るようになった。ユさんは娘の前で一生懸命涙をこらえていたが、娘は初めて見た父親に対する感情を滝のようにあふれる涙で隠すことができなかった。
金剛山ホテルの対面会場は始まったばかりはぎこちない雰囲気が漂っていた。南側家族が先に動いて北側家族が座っているテーブルに近付くと、ややよそよそしさがあった。姉と妹が互いに尊敬語を話したりした。それぞれ違う体制で、それぞれ違う時間を生きてきた間隙だった。しかし、対話が続き、ぎこちなさはいつのまにか抱擁に変わった。宴会場の床でクンジョル(韓国式の最上級の挨拶)をする光景も見られた。それから長くは経たないうちに各テーブルから嗚咽とむせび泣きが聞こえるようになった。スピーカーを通じて流れ出る北朝鮮の歌は家族の泣き声にかき消された。
娘と婿を連れて対面場を訪れたソン・ヨンブさん(92)は北側の親族に会った後、意識を失って医療スタッフによって外に運ばれた。政府当局者は「離散家族の対面対象者があまりにも高齢である上、感情を制御することができず、行事のたびに気絶するケースがある」とし「今回も万一の場合に備えて救急車と医療スタッフが共に待機していた」と伝えた。
会場ではしわが深く刻まれた顔を互いに撫で合いながら「なぜこのように年老いてしまったのか」「生きていてくれてありがとう」と互いに声を掛け合う様子が続いた。南側の最高齢者であるペク・ソンギュさん(101)は北側の嫁と孫娘に会って、涙を流すことができなかったのか、むしろ微笑みを見せた。
南北離散家族間の対話が続いて残念な話も行き来した。会場に出てくるべき当事者が今年亡くなったという便りをやりとりしながらだ。2000年から離散家族の捜索申請を出していたチョ・オクヒョンさん(78)と弟のボクヒョンさん(69)は、韓国戦争(朝鮮戦争)の時に生き別れた北側の次兄が今年死亡し、代わりにその子どもに会うことになった。オクヒョンさんは「弟のボクヒョンが電話して『長兄が生きていれば85歳』と言った」とし「北朝鮮で兄さんたちが生きているかもしれないと考えていたが…」と残念がった。弟ボクヒョンさんはそれでも「父と兄の生死確認がせめてもの願いだった。会えることになり、本当に宝くじにでも当たった気持ち」としながら「(兄の家族に)子孫がまだいるのか、父の墓はどこにあるのか、法事はちゃんとやっているのかなど、質問することを手帳に書いておいた」と話した。
南側対面者のチョ・ヨウンさん(90)の北側の弟ウンボクさんも今年3月に亡くなった。幸い北側の妹ヤンスクさん(80)が生きていてこの日再会を果たしたが、弟の生前の姿を妹から代わりに伝え聞かなければならなかった。北側の娘キム・ギョンヨンさん(71)に会ったハン・シンジャさん(99)は「あなたの名前はキム・ギョンジャなのに、どうして名前が変わったのか」と聞いたりした。離散家族は互いに持参した写真を交換し、準備してきたカメラで写真を撮った。
この日午前、江原道束草(ソクチョ)から出発して離散家族対面会場の金剛山までバスで移動した南側家族は、宿舎である外金剛(ウェクムガン)ホテルで旅装を解き、初めての対面予定時間である午後3時になることだけを待った。およそ60年の歳月を待ったが、対面を控えた家族にとっては1分1秒が退屈だった。美しい洋服や韓服を着て、南側家族の入場を待った北側家族の視線は出入り口に固定されていた。南北当局は、便宜上、家族別に固有番号を付け、各家族はこの番号が付いたテーブルで対面する形で行事が進められた。別れる時に生まれたばかりだった赤ん坊は腰が曲がり、おむつを着けていた娘は喜寿を迎えたことから、互いの顔が判別できなくなる状況に対する窮余の策だ。この日、89人の南側離散家族が北側家族185人と分断後65年を経て再会した。戦時に北へ拉致された人と国軍捕虜6家族も、この日涙の対面団に含まれた。
2018年08月21日 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]