| 韓国の船というと、豊臣秀吉の侵略水軍を撃沈した李舜臣将軍の亀甲船を思い出すが、それよりはるかに古い高句麗時代の広開土王は、優秀な戦略をもって百済領の漢江流域を攻略し、帯方界(平南、咸南地方)では侵略倭軍を大破した記録も残っている。
統一新羅末期の張保皐は、船団を組んで唐と日本を往来しながら海上貿易でもうけ、高句麗を創建した王建が作った兵船は、その上で馬に乗って調教が可能なほど堅牢で大きかったという。しかしここで言うのは、そんな勇ましい船のことではない。
川や小さな海の入り江を船で渡るところをナルッといい、ソウルでも1917年漢江に鉄橋ができるまでは、このナルッペがソウルに入る唯一の渡江手段であった。そしてナルッペの船頭は、親子が代を継いでやる場合が多く、したがって古い顔見知りもできて「渡し賃のない者が船に乗る」という顔ができるほど、無賃のただ乗りも多かったようだ。
画・文
木丁・金龍煥
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