| 昔、国が人材をと要するための国家試験制度で、3年ごとに行われていた。
科挙には小科、大科のほかに、武科、雑科などがあった。小科は司馬試ともいわれ、ソウルと各道の地方観察使主宰下に行われたが、これに合格して生員、進士になった者は、さらに大科に応試することが出来た。
大科は初試、覆試、殿試にわかれ、提出する用紙には姓名、本貫はもちろん父、祖父、曾祖父、外祖父らの名まで糊つけをしてかくした。これは糊名法といって情実採点を避けるためだったという。大科の最終段階である殿試及第者には「東堂監試放榜儀」という儀式を通じて発表された。
この席には、殿上に重臣を陪従した国王が着席し、試験官も特別席に招待された。そして呼名にしたがって入庭する及第者には、御賜花と合格証の紅牌が下賜され、3日間冠帯を整えて先進たちを巡訪する3日遊街を行った。
画・文
木丁・金龍煥
|