| 院も駅に似たもので、ソウルには弘済院、梨泰院、普済院、箭串院などというのがあった。その他地方にも長湖院、沙里院、鳥致院などがあり、院は駅よりは少しくだけた半官半民の旅閣である場所を指していった。
西大門郊外にある弘済院は、かつて中国からの使臣が京に入る前礼装を整えた館のあった場所であり、梨泰官は壬申乱の時、退却する日本軍が負傷兵を置き去りにした場所として有名である。梨泰院は、今は駐韓米軍の兵舎があり、外人向け安売り商店街でも名が知られている。
弘済院の館跡には日本時代から火葬場が出来、数年近くに住んでいた私は、風向きによってはもろに臭い煙を被り、一日中鼻を押さえていなければならない時もあった。
駅、院時代の末期には、未だチゲで荷物を運ぶ歩撥という制度が残っていて、当時権勢をふるい始めた日本人官吏の中には、よく自分の妾を歩撥のチゲに乗せて辺鄙な任地にまで運ばせたので、住民達は人間小包だと言って笑っていた。
画・文
木丁・金龍煥
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