| 朝鮮朝時代の司法組織には刑曹と義禁府という在任を専門に扱う部署がふたつあった。前者は一般庶民を後者は国事犯などを裁いた。
後者の場合は、王の親臨のもと宮廷内で行い、五品以上、大臣級などを裁くときは王が直接調べることもあった。あの有名な端宗哀史の場合は、世祖王自身、成三問、朴彭年らに拷問を命じて殺したのである。
一般裁判は、中央では漢城府、地方では観察使、守令らが行い、法廷も今のよう独立した裁判所はなく観察使が事務をとる役所「東軒」の庭の一隅に罪人を据えて裁いた。
これは、日本の奉行が奉行所の庭である「白州」に罪人を座らせて調べたのと同じである。東軒での罪人を調べるやりとりの詳しい内容は、パンソリ「春香傅」中、新官使道下学道が春香を調べるくだりによく出ている。
画・文
木丁・金龍煥
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