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イタリア戦で伝説となった北韓の「4段ジャンプ」攻撃(左2人目から金ボンハン、朴スンジン、朴斗翼、韓ボンジン) |
イングランド大会(第8回・1966年)
北韓、イタリア破る大金星
初陣北韓大活躍、 アジア初の8強
前回のチリ大会でアジア代表チームを軽視したFIFAは、66年のイングランド大会では地域予選を最初から「アジア+アフリカ+オセアニア」を1つのグループに固めるという暴挙を犯した。
「ヨーロッパと南米のみが世界サッカーだ」というFIFAの傲慢な態度に、アフリカ勢は抗議の意味で15カ国すべてがW杯予選への出場をボイコット。そのため予選に出場したのはオーストラリア、韓国、そして北韓のみとなった。
66年イングランド大会に備え、旧ソ連やユーゴといった共産圏の強豪国との徹底したトレーニングで力を付けた北韓は、63年からW杯予選直前まで29勝1敗という圧倒的な実力をつけてきた。
韓国代表も負けじとW杯出場をめざし強化に励んできたが、北韓に敗れることは韓国政府にとって絶対に許されるものではなかった。
当時の韓国と北韓は、政治、経済をはじめとする各分野で激しい競争を繰り広げていた。「負け」=「共産主義の勝利」を認めることになるからだ。
そこで韓国政府は、当時の韓国代表では北韓に勝つ可能性が少ないと判断。急きょW杯予選の不参加を表明した。その代償として韓国は、FIFAに罰金として5000ドルもの大金を支払うことになった。
オーストラリアを下し、初出場を果たした北韓は、予選リーグで強豪のイタリアを1-0で下す番狂わせを起こし、ベスト8にまで進出した。アジアでベスト8まで進出した国は、いまだにこの北韓だけだ。
メキシコ大会
(第9回・70年)
韓国、最後の壁は豪州だった
豪州と決戦、 PK外し脱落
続く70年メキシコ大会アジア予選。參加した国は日本、オ−ストラリア、そして韓国の3カ国だけだった。
当時、韓国代表の戦力は以前より大きく向上しており、GKには有名な李世淵、DFには金正男と金浩が布陣し、攻撃陣には李会澤と朴利天、鄭康芝などがいた。
しかし、ソウルでの日本戦で2点をリードした韓国は、油断から終盤に追いつかれ2−2で引分けてしまう。そして、2日後のオ−ストラリア戦を1−2で落としてしまった。
中間結果でオ−ストラリアが2勝1分け、韓国は1勝1敗1分け。オ−ストラリアとの第2ラウンドに勝てば、プレーオフに持ち込めることになった。
69年10月20日、ソウルで行われたオーストラリア戦。1−1の接戦を繰り広げていた韓国が相手のファールから貴重なPKを得た。しかし、李会澤が蹴ったPKが相手GKに止められ、またもW杯を逃した。
西ドイツ大会
(第10回・74年)
スーパースター車範根登場
国際大会開催でレベルアップも 再び豪州に苦杯
70年メキシコ大会の地域予選でオ−ストラリアに惨敗した韓国は、74年西ドイツ大会に向け、早急に強化態勢を整えた。
まずは71年、韓国で最初の国際サッカー大会である「大統領杯アジアサッカー大会」を開催。世界各国の代表チームや有名クラブチームを招待し国際経験向上を試みた。
その中から数多くの名勝負が繰り広げられ、アジアで最も権威ある大会へと成長した同大会は、76年から「大統領杯国際サッカー大会」、95年からは「コリアカップ」と改称し、現在まで行われている。
そして71年、韓国サッカー界が誇るス−パ−スタ−車範根が代表入りし、国民の期待は高まった。
中学3年でサッカーを始め、点取り屋のFWとして頭角を現した車範根は、高麗大入学と同時に韓国代表に抜擢。78年には当時、世界最強のプロリーグと言われた、旧西ドイツのブンデスリーガに渡り、ダルムシュタット、フランクフルト、レバークーゼン等でプレーした。10年間で計308試合に出場し98得点をあげた。
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| 車範根の登場でW杯出場への期待が大きく高まった(写真は73年5月26日、西ドイツ大会アジア地区A組第2次予選決勝、イスラエルとの試合で決勝ゴールを決めた車範根=右) |
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フランクフルト時代に欧州連盟(UEFA)杯で優勝すると、ユニセフ世界選抜にも選ばれるなど世界的な名選手へと登り詰める。
それ以外にも、GKの李世淵と辺鎬映、DFには金浩と金正男、黄在萬、攻撃陣には車範根、金在韓、金真国と揃ったチ−ムは、大統領杯での経験も踏まえ、当時アジア最強の評価を受けた。
国民の期待を胸に、73年5月19日から始まった西ドイツ大会アジア予選。韓国はマレ−シア、香港、イスラエルと戦い3勝2引き分けという余裕の戦績で1次予選を突破した。しかしこの後、韓国にまたもやオ−ストラリアが待ち受けていた。
メキシコ大会予選での雪辱を果たそうと戦った2連戦は、共に引き分けとなってしまった。特にソウルでの2戦目は韓国が2−1とリ−ドしていたにもかかわらず、オ−ストラリアのリチャ−ド選手がスロ−イングしたボ−ルにDFラインが混乱をきたし、だれが触ったかわからないままボ−ルはころころ転がり、韓国ゴ−ルに吸い込まれてしまった。
結局、第三国の香港で勝敗を決することになった韓国は、九死に一生を得たオ−ストラリアの勢いにあと一歩が及ばず、2−0で敗れてしまった。その結果、またしても本戦出場の機会を逃してしまったのである。
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