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ドーハーの奇跡、そして飛躍へ
ドーハーで行われた94年米国大会・アジア地区最終予選。日本にとっては「ドーハーの悲劇」と言われた。しかし、韓国にとってはこの日本の悲劇によって「ドーハーの奇跡」が生まれた。
3大会連続出場となった韓国。初戦の相手はふたたびスペイン。欧州予選で当時の王者デンマークを下し、有力な優勝候補に挙げられた。
試合前の会見でハビエール・クレメンテ監督が「5−0で勝つ」と断言すると、韓国の金浩監督も負けてはいない。「1−0で勝つ」とやり返した。
6月18日。ダラス・コットンボールスタジアム。予想より数多くの太極旗が振られるスタンドを背にキックオフ。
ゲーム前、当時のブィショベッツ技術顧問や專門家は「スペインの前後半開始15分に気をつけろ」と忠告する。それほどスペインの攻撃を防ぐのは至難の業だ。
イエロ、ゴイコエチェアらを擁するスペインの中盤は、韓国より数段個人技に優れていた。
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スペイン戦、終了間際に劇的な同点ゴールを決め喜ぶ徐正源(中央の11番)と黄善洪(後方16番) |
しかし、李永真、盧廷潤、金鋳城を中心とした韓国伝統の徹底マークが、スペインの中盤を早めのチェックで潰しに掛かる。さらにDFの朴正培がストライカーのフリオ・サリナスを徹底的にマークし、攻撃を封じ込む作戦をとった。
韓国は、洪明甫からの決定的なパスからチャンスを作った高正云が、スペインのDFナダルに引きずり倒される。テクニカルファウルによる一発退場で、韓国は数的有利を得た。W杯出場の歴史で、初めて審判が味方してくれた。
主導権を握った韓国は、後半序盤も勢いに乗って攻め上がるが、次第にスペインの逆襲に襲われてしまう。
辛弘基の強引なドリブルをカミネロがカット。それをサリナスが軽く押し込みスペインが先制すると、健闘していたDFの緊張の糸が切れた。あっという間にゴイコエチェアにもヘディングシュートを決められ0−2と引き離された。
しかし、ここからが圧巻。劣勢の韓国を40度の猛暑が味方しはじめた。あまりの暑さにスペイン選手の動きが鈍り始めると、体力に優る韓国は逆に息を吹き返した。
休みなく攻め続ける韓国は後半40分、洪明甫のフリーキックがイエロの足に当たり直接ゴールへと吸い込まれる。1点返すと韓国の攻撃はさらに激しさを増した。後半13分、金鋳城と交替で投入された徐正源が試合終了直前の44分、ペナルティーエリア右で洪明甫の絶妙なパスを受けると、狭い角度から同点ゴールを決めた。
そして、タイムアップ。奇跡的な同点劇は2−2で幕を閉じた。
強豪スペイン相手のドローに、世界との差は着実に縮まっていると実感させてくれた。
悔しいドロー
2戦目の相手は南米のボリビア。勝てば悲願のベスト16進出が確定する重要な試合だった。
韓国は速攻から幾度も決定的なチャンスを作るが、エース黄善洪が大ブレーキ。ゴール前での詰めが甘く、ことごとくゴールを外した。
後半38分、ボリビアのクリスタルドが金判根へのファールから退場するも、数的優位のチャンスを生かすことができず無得点のままタイムアップ。結局0−0の引き分け。この試合は韓国のW杯史上、最も悔やまれる試合と呼ばれている。
第3戦は前回優勝のドイツ。誰もがあきらかな劣勢を予想した。
しかし、スペインとの初戦で奇跡的な同点劇を演じ、ボリビアとの引き分けで勝ち点2を獲得した韓国には、まだベスト16進出の可能性が残されていた。
ダラスコットンボールスタジアム。主審のホイッスルと同時に、韓国は序盤から意欲的に試合を進める。しかし、実力の差は余りにも大きかった。韓国はブッフバルトのタックルからボールを奪われると、クリスンマンを経由し、徹底マークしていたはずのハスラーにパスを通される。
韓国の右サイドに切れ込んだハスラーがフェイントからクリスンマンにパス。右足で豪快にボレーを決められ0−1。早々と失点を許した。
続いてブッフバルトがペナルティーエリアの隅から、倒れながらも右足でセンタリング。ゴールポストにはね返ったボールをリドレが押し込み0−2。
前半唯一のチャンスだった趙真浩の強烈なシュートが外れると、再びドイツの逆襲。これまでの不振が嘘のように、この試合で抜群のテクニックを披露したハスラーがフリーでセンタリング。クリスンマンのコントロールミスで浮いたボールをGK崔仁栄のミスで不運のゴール。
ゲルマン魂に負けぬ「韓国魂のサッカー」完成
0−3で前半が終了すると、誰もが韓国の惨敗を予想した。だが、韓国は誰一人勝負をあきらめなかった。
後半に入り、捨て身の韓国はスイーパーである洪明甫を中盤に上げ、そこからゲームを組み立てる。すると後生まで語り継がれるであろう、神懸かり的な韓国の反撃が始まったのである。
DFの朴正培までもが攻撃に参加し、ハーフラインから逆サイドの黄善洪にロングパス。ここまでゴールを決められず非難を浴びた黄善洪は、右足でGKのイルグネルが飛び出したところをゴール。まず1点を返したところで韓国の猛攻に火がつき始めた。
続いて高正云のセンタリングを中央にいたコーラーがヘディングでカット。そのボールが洪明甫の足元に転がった。90年イタリア大会の優勝で、名実ともに世界のスターとなったマテウスをフェイントでかわし、洪明甫がロングシュート。ボールはイルグネルの脇をすり抜け、韓国2点目が突き刺ささった。
1点差、そして残り時間はあとわずか。ここから韓国は全選手が死力を尽くして攻撃へと転じる。あまりの猛暑にドイツイレブンの足は完全に止まり、全く攻撃に移ることができない。
「不屈のゲルマン魂」を「韓国魂のサッカー」が凌駕したラスト5分。
闘志と焦りが交錯した韓国の攻撃は、不運にもGKのナイスセーブに阻まれ続け、終わりを告げるホイッスルが鳴り響いた。
王者ドイツをあと一歩に追い込み、ピッチに倒れ込んだ韓国選手に、スタンドから歓声と拍手が鳴り止まなかった。
2分1敗、勝ち点2、得点4、失点5。またしても悲願の1勝はならなかった。
しかし、このゲームはアジアのサッカーが世界に認められた初めての戦いとして、W杯の歴史に刻み込まれたといっても過言ではない。
その証拠に、このゲーム終了後、洪明甫のもとには、欧州のクラブチームから数多くのオファーが寄せられた。
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