かつて大阪には「猪飼野(いかいの)」と呼ばれる地名があったが、1973年の町名改正で消滅した。
その「猪飼野」があったのは、現在の大阪市東成区、生野区にまたがる平野川周辺地域だが、鶴橋、桃谷、大阪コリアタウンといえば分かりやすいかもしれない。
この旧猪飼野地域は、在日同胞が居住者の約2割近くを占め、済州道をルーツに持つ同胞が非常に多い。これは1922年から1945年に済州島と大阪市を結んだ航路(君が代丸)があったためと言われている。
そのため旧猪飼野地域では韓国の済州サトゥリ(方言)が使われていたようだ。韓国の済州サトゥリは、済州語としてユネスコの消滅危機言語に「極めて深刻」と位置付け登録されており、以前、日本の旧猪飼野地域に韓国から調査、取材が来訪したという。ちなみに日本国内の方言・言語で「極めて深刻」に該当しているのはアイヌ語だけだ。
一方でこの旧猪飼野地域、今では大阪コリアタウンで有名だが、かつてはゴム製品・金属・プラスティック・ビニール加工、ヘップサンダル製造等の零細工場が多く、中小町工場が並ぶ一大工業地帯であったという。街を歩くとキムチと焼肉、そして町工場の溶剤と漢方薬の匂いが混然一体となり、加えて済州の言葉、大阪弁が飛び交っていたのが「猪飼野」であった。
旧猪飼野地域を南北に流れる平野川は、奈良、平安時代に「百済(くだら)川」と呼ばれていた。そして鶴橋は、日本書紀に「冬11月、猪甘の津に橋わたす。すなわちその処を号けて小橋という」と記されおり、仁徳天皇(5世紀)の時代に造られた記録として残されている日本最古の橋とされている。その猪甘津橋(いかいつのはし)は、鶴が多く飛来したので「鶴橋」と呼ばれるようになったとか。今は現存しない猪甘津橋(鶴橋)の記念碑は桃谷駅の近くに置かれている。
またその昔この辺りには百済郡(くだらごおり)が置かれ、「生野」の語源も聖徳太子の逸話が由来だという。もうこうなってくると素人には訳が分からなくなるが、要は4~6世紀に百済などから渡来人が文化、漢字、技術、仏教などをもたらし、この一帯が当時の首都(難波宮は日本最初の首都)だったとの説がある。
ところでこの「猪飼野」の地名、文字の通りだと「猪(イノシシ)を飼う野」なのだが「猪」は、中国、韓国では「ブタ(豚)」を指す。干支の「亥(猪)」は、日本では「イノシシ」、中国、韓国では「ブタ」だ。イノシシは、中国、韓国では野豚・山豚と区別される。つまり「猪飼野」は、韓半島からもたらされた「ブタ」を育て、天皇に献上するため猪甘部(いかいべ/猪を飼育していた古代の官職)が住んでいた場所だということだ。
そして大阪コリアタウン辺りは、仁徳天皇が度々訪れたことから御幸森(みゆきもり)の名称が残っている。
猪飼野は、昔も今も韓国と日本の人と文化が交わる不思議な場所だ。(M)