
―弁護士を志したきっかけは。
高校生のときに、親しい友人が深刻な問題を抱えていることを知りましたが、どのように対処すべきかまったく分からず、目の前の困っている人の役に立てることは無いのかと悩んだことがきっかけです。大学生になって、法的手続をとることができる問題だったとわかりました。これを契機に弁護士になろうと決意しました。
―離婚・相続・DV(ドメスティック・バイオレンス)などを中心に業務を行っていますね。
「家庭のなかで、女性や子どもが置かれている状況に疑問を抱いたのをきっかけに、女性や子どもに対する暴力や性差別のない社会を実現することに関心を持つようになりました。複数年かかって困難な紛争が解決し、依頼者が次のステップに進んで行く姿を見ることは、いつもうれしく思っています」
―神戸はるか法律事務所を開設したきっかけは。また事務所名の由来を教えてください。
「弁護士登録後、最初に所属した事務所の所長が同じ在日の梁英子弁護士(現在は引退)でした。梁弁護士は子育てをしながら開業し、その後も長く事務所を継続している姿を拝見していました。不安もありましたが、第2子を出産するときに、自分の身の丈にあった小さな事務所であれば大丈夫なのではないかと決断しました」。
「開業はコロナ禍の20年8月でしたが、そのとき乳児2人を抱えていました。出産や育児で弁護士登録を抹消する女性もいたので、しばらくは仕事を継続できるだけでも有り難いという気持ちでした。事務所名の由来は、長く続けて地域の役に立ちたいという思いを込めた。『悠久』という言葉の『悠』を由来としています」
「事務所を維持するには、弁護士の通常業務とは別に、事務所経営のため相当の労力を割く必要がありますが、開業当初から勤務する事務職員とともに、依頼者の抱える負担を軽減する方策を考え、より信頼される事務所に改善していくことはやりがいがあります。また、税務を依頼している女性税理士や同業者らに事務所経営と家庭との両立について情報交換しながら試行錯誤するのも楽しみになっています」
―大阪本部の相談員はいつからですか。
「18年頃から民団大阪の法律相談員を担当しています。当時は女性の相談員がおらず、LAZAK(在日コリアン弁護士協会)所属の弁護士の紹介で担当するようになりました。相談員にはベテランの先生方が複数在籍しており、相談員のなかでは経歴が浅いです。生活相談の多くは相続の問題です。相続人確定のための資料を取得するのも容易ではなく、ケースによっては韓国内の弁護士につなぐ必要があるなど、在日の相続は専門家による支援の必要性が高いと感じる分野です。日本人でも、被相続人が韓国籍で、どう進めればよいかと相談を受けることもあります」
―在日同胞としてどう成長しましたか。
「大阪市生野のコリアタウン生まれで、祖父母には2世もいますので、私は在日3世というより4世になるかもしれません。親の方針で日本名はなく、韓国名だけで生きてきました。コリアタウンの大阪市立御幸森小学校卒業(現在は廃校)、白頭学院建国中学校を卒業しました。小学校は当時、在籍児童の約7割が在日で、民族学級に通う児童も多数という環境でした。建国中学校では韓国語、韓国の歴史・地理、文化・芸術などの基礎を一通り学べたので、その後も韓国・北朝鮮や自分のルーツなどについて関心を持ち続けることが出来るようになったと思います」
―子どもたちにルーツをどう伝えたいですか。
「亡くなった祖父のひとりが、15歳で九州の炭鉱で働いたことがあると親から聞きました。生前の祖父から炭鉱や戦争の話を直接聞いたことはなく、15歳で渡日して炭鉱で働いたことが、その後の祖父の人生にどんな影響を与えたのか理解出来ませんでした。今年5月に出版された手塚治虫全集の未収録作『ながい窖(あな)』には、日本の炭鉱で労働し、生き延びた1世のその後が描かれていました。この『ながい窖』と(エッセイストの)四方田犬彦さんらの詳細な解説を読み、炭鉱を出た後の日本での人生を含め、1世とそれに続く多くの在日コリアンの人生がどのようなものだったかを改めて想像しました」
「夫も在日同胞で、子どもたちは本名のみで日本名はなく、日本の学校に通学しています。自分たちが韓国人であること、なぜ日本で暮らしているのか、子どもたちに理解できる範囲で説明しています。世界は色々なルーツを持つ多様な人々で成り立ち、その誰もが尊重されるべき存在であること、戦争は決してすべきではないことを、親として子どもたちに伝えたいと思っています。子どもたちはいつか在日の歴史も知ると思います。自分のルーツを知ることで、他者が置かれている様々な状況についても想像し、自分自身と他の人々の存在をいずれも尊重することにつながればと願っています」
―最後に在日の若者にメッセージを。
「自身がやりたいことにチャレンジすれば、その過程で上手くいかないことがあっても、きっと自身の糧になり、いつか道が開けると思います。気負わずに、やりたいことにどんどんチャレンジしてください」