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都市対抗でベスト4…モットーは「立派な社会人」
社会人野球「伯和ビクトリーズ」(東広島) 権養伯さん
都市対抗8回、日本選手権6回の出場を誇る、社会人野球チーム、「伯和ビクトリーズ」。本拠地を東広島市に置く。都市対抗では2012年にベスト8、昨年秋の社会人野球日本選手権ではベスト4に進出した強豪だ。
前身チームは「リースキン広島」。04年に創部12年目で都市対抗野球初出場を果たすが同年、日本選手権の予選敗退後、親会社が廃部を発表し、企業チームからクラブチームに陥る危機に遭遇した。
これを救ったのが、広島県を拠点とする総合レジャー企業の伯和グループを経営する権養伯氏だ。チームごと譲り受けることとなり、チーム名の登録を変更する形で再出発した。
チーム譲渡の提案は行政と商工会議所の会頭から来た。「地域の社会人野球を何とか残してあげたい。助けてくれんかね」
「正直ぴんとこなかった。社会人野球に対する知識もなかったし。でもね、地元の人たちから頼み込まれ、断ることができなかった。この町があるから私もいるんだと言い聞かせてね」
人情深い権さんは東広島市民の熱い要請に応えるべく、引き受けることを決断した。
その年、全国大会にデビュー、12年の全国都市対抗野球ではベスト8と大躍進した。原動力は「野球ができる喜び」を持たせたことだ。廃部となり野球を諦めていた選手たちが水を得た魚のように、生きかえり、意識も変わった。
「当時は選手も少ない中でよく頑張った。でも、熱い思いを持った選手たちの目はみんな輝いていた」
権さんは「野球人たる前に社会人として立派な人間になれ」と言い聞かせている。
最大目標は全国制覇、そして、プロ選手を輩出することだ。昨年秋の社会人野球日本選手権では、強豪を次々と撃破し、破竹の勢いでベスト4に進出した。そしてそのあと、もうひとつうれしいことがあった。「うちにおった選手が韓国のプロ野球に入りおったで」と誇らしげに語る。京都国際学園出身で伯和でも活躍していた鄭圭植捕手(23、大阪学院大〜伯和ビクトリーズ〜高揚ワンダーズ)が韓国プロ野球のドラフト会議で、「LGツインズ」から指名されたことだ。
「伯和ビクトリーズの活動を良き機会ととらえ、地域に愛され、親しまれる存在となれるようこれからも努力していきたい」とすがすがしい。
99年に韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和公園内に移設するとき、「移設委員長」も務めた。暗礁に乗り上げていた移設問題が解決したことで、被爆2世でもある権さんは募金を幅広く市民に呼びかけ、5カ月という短期間で目標を大きく上回る2000万円を集めた。
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全国大会進出を決めて喜ぶ選手たち |

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Jリーグ入りめざす…韓国でも選手育成に力注ぐ
JFL「MIOびわこ滋賀」 権五雄さん
天皇杯に4度出場しJリーグ入りを目指すJFL(日本フットボールリーグ)の「MIOびわこ滋賀」。チームを経営するのは在日大韓体育会関西本部会長で在日2世の権五雄さんだ。
チームを発足させたのは10年前。「滋賀にJリーグチームをつくってほしい」とのサッカー仲間や地域住民からの熱望に応えた。06年に「FCMi‐OびわこKUSATSU」を誕生させ、関西サッカーリーグ1部でいきなり2位になり、滋賀県勢として初めて全国地域サッカーリーグ決勝大会に進出した。
翌年も関西リーグ1部で2位を維持、全国地域リーグ決勝大会で3位と大躍進しJFL昇格を決めた。また同年、全国社会人サッカー選手権大会優勝に続き、天皇杯の地域予選である滋賀FAカップでも優勝し本選に初出場した。12年にはJFL最高成績となる8位になったことを契機にチーム名を現在の「MIOびわこ滋賀」に改称した。その翌年、サポーターも増加したことでJリーグ参入を目指すことを正式表明、草津市と東近江市からホームタウンとして支援の承諾を得た。
人一倍民族意識が強い権さんは韓国に2年間留学した。その時、現地で知り合った留学生仲間とサッカーチームをつくり、いわゆる「早朝リーグ」に参戦した。チーム名は「アプロ」。「どこにいても、いつまでも俺たちみんなで前進しよう」との思いを込めた。
留学を終え日本に戻ってから数年後、うれしい知らせがきた。「アプロをつくられた先輩ですよね。ぜひ一度お話がしたくて電話しました。僕ら、今もそのチームやってます」
あれから20数年間、後輩たちがしっかりチームを引き継いでくれていたのだ。そんな「吉報」を受けた権さんは、すぐに韓国に飛んだ。その後、優秀選手を推薦し国体代表も輩出した。
「胸が熱くなりましたね。だから毎年、国体観に行くんですよ。みんな自分の弟や息子みたいでワクワクする」と目を輝かせる。
オモニからは「男は何事も迷うことなく決断しろ」と言われる。69歳で他界したアボジについては「言葉は少ないけど、怒ったときはメチャ厳しかった」。男3人兄弟、全員サッカー経験者。本業も3人で分担。チームは末弟に任せている。
大変だったのは幅広い資金集めと地域ぐるみでの支援だ。当初、300〜400人だった観客が、ようやく数千人単位に、スポンサーも約40社に伸びた。
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「今年こそJリーグ入りめざすぞ」 |

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韓国バレー界に旋風…在日の誇りをパワーに
韓国・安山排球団 崔潤さん
韓国プロバレーボール19年の歴史でリーグを制したのは三星と現代のわずか2チームだけ。20年目の昨年、結成2年目の新星チーム「安山排球団」が優勝、その歴史を塗り替えた。球団主は在日同胞2世でアプロサービスグループ会長の崔潤氏だ。
実は2012年、大宇がチーム解散を発表した時、どの企業もスポンサーになってくれず困っていたところ、アプロサービスグループだけが唯一手を挙げた。1年間ネーミングスポンサーとして運営した後にチーム買収に乗り出したが、後発の韓国メガバンク「ウリ金融」が契約を交わしご破算に。全社員が一丸となって夢を追いかけていた。その情熱を消したくない」と悔しさをバネに崔会長は奮起、新チーム結成に動きだした。その翌年、韓国男子プロバレーボールリーグ7番目の球団を創立させた。
多くの苦労があった。まず選手集めだ。新生チームのためトッププレーヤーは獲得できず、大学生だけでチーム編成した。さらにホームタウン契約でも安山市に持ちかけたが快諾は得られないまま見切り発車した。
デビュー年は11勝19敗、最下位に近い成績だった。翌年、紆余曲折の末、安山市と正式にホームタウン契約を結んだことで、翌年の2014年、韓国で大きな事故が起きた。安山市の高校生らが多く犠牲となった「セウォル号沈没惨事」だ。「正直、悩んだ。他の大手企業のように多額の慰問金という方法もあったが、心の慰労を優先した」と崔会長はふり返る。
絶望に陥っている遺族のためのボランティア活動を始めた。社員と選手は社名もチーム名も出さず、1カ月以上焼香所に泊まり込み、遺族たちの世話をした。この時のチームのキャッチフレーズは「We Ansan」「奇跡を起こそう!」。「私たちは安山」という意味と「安山市民に慰安を」という気持ちを込め、ユニフォームも球団名を外し、このスローガンを刻んだ。
「市民たちのためにも奇跡を起こそう」と選手たちも奮い立った。チームはホームゲームをほぼ全勝、奇跡的なリーグ優勝を成し遂げた。
「結成当時、多くの隘路があった。正直、在日同胞に対する偏見もあったんでしょうね。その悔しさが逆にパワーになりました」と崔会長。
大韓ホッケー協会と大韓ラグビー協会の副会長も務め、他のスポーツ団体への支援や社会還元を展開している。自社がスポンサーのゴルフ「パク・セリインビテイショナル」では賞金の10%及び同等の金額をジュニア育成基金として寄付。また、ろうあ者を支援する全国野球大会やこれまでスポンサー企業が少ない競技、ホッケー、バレーボール、ろうあ者野球などの韓国代表チームを積極支援している。
在日同胞のことも忘れていない。09年からは在日同胞母国修学生を対象に奨学金を支給、さらに昨年からは全国6カ所の民族学校に支援金を提供している。
「次世代たちは日本で生活していても韓国人としてのプライドと負けない気持ちを強く持って生きてほしい。そして祖国発展に寄与できるネットワークを築いてほしい。そのためにも奨学会事業をさらに広げ、より多くの同胞学生を支援していきたい」
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韓国男子プロバレーボールで優勝し胴上げされる |

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悲願の甲子園初出場…父の勧めで教育事業に専念
大阪偕星学園高校 金明弘さん
悲願の甲子園出場を果たした大阪偕星学園高校。球児たちの歓喜する姿に金明弘理事長も心がふるえた。前身は此花学院高校。鶴田浩二をはじめ、ピアノニストの西川悟平、金城基泰らプロ野球選手など多くの著名人が巣立っている。
しかし、少子化に加え学校の人気低下などで生徒数が激減し財務状況が悪化。全国で250余の学習塾を経営する上場企業、開成教育グループの金氏に「後任理事長を」と白羽の矢が立った。
5年計画で戦略を構想、生徒たちへの指導に付加価値を高めた。的確な学習指導によって年々大学進学実績が向上、生徒数も倍増し経営は健全化した。
13年に校名を変えた。「偕星」には塾で使用している「開成」をかけ、「星と輝く人間づくり」の思いを込め、自ら作詞した校歌にも「友よ学び共に鍛えて希望の扉開こう」と願っている。
めざすのはスポーツと学習の「並進教育」。「次はスポーツだ。よし、甲子園に行こう」
まず、監督選びから始まった。在日3世で韓国プロ野球の「太平洋ドルフィンズ」でもプレーし、的確な指導で定評のある山本氏を迎えた。謙虚さ、野球一途の人生、色々な失敗経験を積み、人の痛みが分かる男だ。
山本監督の要望に即応し選手寮を整えた。監督は単身赴任で選手とともに寝泊まりし朝4時に起きて部員のために弁当をつくる。2〜3時間の睡眠時間は当たり前。
「言葉のテクニックは通用しない。本気かどうかを子どもは見抜きます」と山本監督。
チームはメキメキと実力アップ。2年後の秋季府大会でベスト4、昨年5月の春季大会では準優勝。そして、夏の甲子園府予選では前年度全国優勝の大阪桐蔭や大体大浪商といった強豪を破り初出場を決めた。
金さんの母校は立命館。当時、大学のサークル、韓文研(韓国文化研究会)で活動。同様のサークルは各大学にもあり交流も多かった。「多くの同胞と知り合えたことは財産」と、今でもその縁を大切にしている。
4回生のときに学習塾の講師をはじめた。このデビューが現在の開成教育グループ構築への始発点となった。
生まれ育ったのは大阪駅前。「阪神村」の闇市で一旗揚げた1世の父に「金儲けはいいから、お前は教育に寄与しなさい」と言われ続けた。昨年から民団大阪本部の文教担当副団長に就いた。
「白頭、金剛などの民族学校や民団の次世代事業にはできる限り協力する。同時に、生まれ育った日本の地域社会にもしっかり貢献したい」
「次世代たちは自分のルーツをしっかり知り、愛着と関心を持って歴史・文化・母国語を学んで力強く生きる力をつけてほしい」
「究極の目標は大学経営」と金理事長は目を光らせる。
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甲子園出場を実現! |
(2016.1.1 民団新聞)