韓国の国家人権委員会(玄炳哲委員長)はこのほど、『2012 北韓人権侵害事例集』を発行した。北韓の人権蹂躙状況を幅広い観点でまとめた政府次元で初の公式報告書だ。関係国際機関にも提出される。情報提供を申し出た脱北者約800人のうち、約60人を面談・調査してまとめた。「政治犯収容所」の悲惨な実態もさることながら、政権中枢のエリートや朝鮮総連の元幹部を含む収監者リストが公式に記録されている点でも関心を呼んでいる。事例を今後さらに蓄積し、南北統一後、加害者に対する処罰など独裁体制の清算に資するよう、体系的に管理する方針という。
韓国人権委…収監278人を検証
元総連幹部の惨状も赤裸々
収容所の死者半年約4千人
『事例集』には主に、咸鏡北道会寧市、咸鏡南道耀徳郡、平安南道价川郡、同北倉郡の政治犯収容所4カ所と平安南道甑山郡、会寧市の教化所(刑務所に相当)2カ所の惨状が収録された。
甑山教化所で遺体運搬を担当させられた脱北女性は、ここだけで2005年1月から6月にかけ3721人が死亡したと証言する。遺体の番号は毎年1月1日から1番に戻るが、牛車で運び出される遺体に3721と記された札を目撃してのことだ。
この証言者によれば、遺体の状態から見て死亡原因のほとんどは飢えか暴行によるもので、遺体は裏山に掘られた幅30㎝余の穴に埋葬される。遺体の一部が地表に出ている様子が花のように見えることから、ここは「花園」と呼ばれているという。
会寧市の政治犯収容所では1992年10月頃、作業班の保衛員が釣り竿に見立てた棒の先に豚肉の脂身を引っかけて上げ下げし、全裸の女性政治犯を蛙のように飛び跳ねさせていたとの報告もあった。数々の生々しい証言によって、このような施設が人を鬼畜に変えていく様相が浮かび上がってくる。
『事例集』には付録として、政治犯収容所の収監者リスト(年齢・故郷・職業のほか収監の年度・理由・生活実態を収録)が掲載されている。これまで収集された約600人の収監者名簿のうち、検証で事実と確認された278人だけに絞った。ここでは、大阪朝鮮高校の校長を務めた韓鶴洙氏など、朝鮮総連の8人以上の元幹部の惨状も記録されている。
より興味深いのは、政権中枢からこつ然と消息を消したエリートのその後がかなり明らかになったことだ。その典型が今年2月、逓信相に任命された沈哲浩だろう。
彼は金正日の後継体制確立へ核心的な役割を果たした父(81年死亡)を持つ。逓信次官だった01年9月、保衛部12局(盗聴尾行)に対して、「スパイも捕まえられないのになぜ、盗聴ばかりするのか」と話したことが保衛部不敬罪となり、北韓版アウシュビッツとして名高い耀徳収容所に収監された。1カ月もたたずして体重が30キロも減り、ネズミを焼いて食べる姿も目撃されている。だが彼は03年3月、金正日の指示で釈放され、通信機械工場への配置を経て中枢に復帰した。
高位級幹部にとっても政治犯収容所は、再起不能なまでに破滅を強いられる施設であることに変わりはない。「幹部のほとんどは腹の出た状態で入るが、1カ月ほどで痩せこけた姿に変わる」と脱北者たちは語る。だがまれに、独裁者がより強く忠誠を誓わせるべく、アメの効果を最大限にするために巧妙にムチを打つ場ともなるようだ。
収監が増えた「脱北」関連者
政治犯収容所への収監理由で最も多いのは「本当の政治犯」ではなく、「脱北」関連であることも明らかになった。リストに載った278人のうち、66人が脱北した本人か幇助者だった。母親が餓死した後、食料を求めて中国に渡り、韓国行きを決意してミャンマーまでたどり着いたが、同国の警察に逮捕され、中国経由で強制送還された16歳の少年もいた。
加害者特定も進む
国際機関に提出、提訴支援も
南北統一後の処罰の根拠に
国家人権委は『事例集』に収監者リストを収録する一方、加害者の名簿も非公開内部資料として記録している。これに対する注目度が極めて高い。
人権委当局者は「人権侵害を受けた脱北者を通じて、加害者を特定するために力を入れた」と語っている。北韓などによる人権侵害は公訴時効が適用されない国際的な反人道犯罪であり、南北統一後、加害者を処罰する根拠となるものだ。
被害者・加害者のリストは、韓国政府が実態を把握していることを知らしめることで、北韓当局と現場担当者に無言の警告を発し、人権侵害を自制させるだけでなく、収監者に希望を失わせまいとする狙いもある。
韓国の一部勢力は、北韓の人権問題に韓国政府が関与して権力者を刺激すると、逆に北住民が迫害されると主張し、北当局を刺激せず支援を続ければ、住民もその恩恵を受けられる、との論理を展開してきた。
しかし、この点について脱北者の多くは、北韓が国際世論を意識して教化所の管理状況を緩和させた例などをあげ、韓国をはじめとする国際社会が人権問題を絶えず提起することは、北韓の人権状況を悪化させるより改善するうえで効果的だと証言している。
西ドイツは1961年から統一までの約30年間、「東ドイツ人権侵害事例の記録保管施設」を運営し、東独の人権侵害事例4万1390件を調査し、公式記録として残した。
東独は西独政府に施設の閉鎖を要求するだけでなく、そこに勤務する役職員に対して刑事処罰を行うとの法律まで制定して脅した。関係者はその脅迫を恐れて海外旅行もままならなかったという。もちろん、西独は圧力に屈することはなかった。
韓国の国家人権委は、金大中政府時代の01年に独立機関としての地位を保障した国家人権委員会法の制定を経て、02年に活動を開始した。しかし、金大中・盧武鉉政府時代は北韓の人権侵害には目をそむけてきた。06年12月には、韓国政府が実効的な支配権を行使できない北韓地域での人権問題は、人権委が取り扱うべき対象に含めることはできない、との公式的な立場を表明したこともある。
人権委の玄委員長が「北韓による人権侵害について、韓国政府が動き出すべき時がきた」と語り、このたびの『事例集』発行計画を明らかにしたのは昨年3月。その時、こう強調した。
「脱北者たちが北韓で体験した人権侵害を、国が正確に記録することに意味がある。これまで、民間団体がこの役割を果たしてきたが、今後は人権委が国家機関として、脱北者の訴えに耳を傾け、その内容を歴史として残す。この記録は、韓国政府や国際機関が北韓人権問題への対策を講じる際にも活用されるだろう」
『事例集』は、国連人権高等弁務官事務所の拷問防止委員会、失踪委員会などに提出される予定だ。人権委はまた、脱北者が「自分の家族が北韓の政治犯収容所に監禁され、拷問を受けている」と国連の人権機関に提訴する場合などに備え、支援する枠組みも整えたいとしている。
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恥ずかしいですよね!?総連の皆さん
総連は4月25日、韓国大使館(新宿区四谷)に《デモ》をかけた。写真に見るように、「民族の最高尊厳を冒涜した万古逆賊李明博輩党を一掃しよう!」、「民族の太陽に指差しする李明博逆徒は天罰を受けろ!」と訴えたいらしい。「在日同胞たちの衷情の胸に刃を入れる李明博逆徒」云々というのもあった。
李明博大統領が4月16日のラジオ演説で「核兵器の放棄と改革・開放だけが北韓の生きる道」と、実にまっとうな呼びかけをしたことなどに対し、北韓は手持ちのメディアなどを動員して「太陽節100周年を盛大に慶祝するこういうときに、同族の祭りの雰囲気に冷水を浴びせ、我々の最高尊厳を冒涜する極端な挑発狂気」であり、「ソウルのすべてを吹き飛ばすこともできる」などと恫喝し、平壌で大規模な群衆集会を開いた。
北韓はいつものように逆ギレしたのだが、若輩である3代目のメンツもあって今回は、赤スジ青スジの浮き具合が普通ではないのだろう。総連が今回初めて、韓国公館への直接抗議の挙に出たのもそんな背景からのようだ。
掲げたスローガンもシュプレヒコールも、いわば北韓語と言うべきものだけだった。どこの誰が、何を目的にした《デモ》なのか、行き交う人たちには理解不能だったであろう。総連の参加者にしてみれば、それがせめてもの救いだったに違いない。
民衆の人権や命を踏みにじり、民族史上でも最悪の恥辱をまき散らしつつ、自己破滅に向かうほかない独裁体制をつくった人物を、いくら何でも、《民族の太陽》《民族の最高尊厳》だと声を大にして言えるはずもなかろう。《デモ》参加者を含む総連同胞ですら「在日同胞たちの衷情」がそんなところには向かっていないことは重々承知のはずだ。
「平壌からかなりきついお達しがあったようで」。都内の総連支部幹部はそう語り、「関心がない」と言いつつも「平壌が変わらなければ総連は変わらないし、恥のかき捨てには慣れっこだ。(参加者は)恥ずかしさを感じているはずだが、同情する気も起きない」と切って捨てた。
(2012.5.9 民団新聞)