掲載日 : [2019-07-24] 照会数 : 9171
「当然の法理」に挑戦 元東京都職員・鄭香均さん死去
[ 鄭香均さん ]
外国籍公務員への「当然の法理」を正当化し、昇進試験の受験を妨げた東京都を相手に最高裁まで闘った元東京都職員の鄭香均さんが6月30日、川崎市内の聖マリアンナ病院で死去した。享年69歳。「偲ぶ会」は26日18時から東京・水道橋の在日韓国YMCAで営まれる。呼びかけ人の一人で、鄭さんの裁判闘争を支援した田中宏一橋大学名誉教授が追悼文を寄せた。
訃報に寄せて 田中宏一橋大名誉教授
鄭香均さんの訃報を、私は秋田で知った。毎年6月30日、大館市主催の慰霊式が、「中国殉難烈士慰霊之碑」の前で行われる。30年来、そこに参加しているが、中国からは、今では強制連行された人の孫の代の参加である。式が終わり、携帯電話を開くと、「先ほど11時2分に亡くなった」とのメールだった。6月30日は、1945年の花岡蜂起の日であり、鄭香均さんの命日と重なることになる。
鄭香均さんと初めて会ったのは、金敬得弁護士の事務所。東京都を相手とする裁判の提訴が1994年9月なので、春ごろだったと思う。鄭さんは都の保健師として勤務し、92年12月には主任試験に合格、94年3月、上司から管理職試験を受けるよう勧められた。願書を記入して提出すると、「要綱」に国籍要件はないのに、受け取りは拒否され受験できなかった。そこで、金弁護士に相談に行ったのである。私に忘れられないのは、裁判に踏み切るかどうか迷ったが、最後に「しかし、差別には負けたくない、最初にぶつかったものが闘わないと、ほかの人の門を閉ざすことになる」と決意するまでの苦悩である。
労働基準法は、「国籍を理由として、…労働条件について、差別的取り扱いをしてはならない」と定めている。「当然の法理」という得体のしれないもので受験も認めないのは、都職員の昇進における差別であり、法治主義の原則にも反する。一審は敗訴だったが、97年11月、東京高裁は原告勝訴の当然の判決だった。しかし、2005年1月、最高裁は、二人の反対意見は付いたものの高裁判決を取り消し、原告の請求を棄却した。
「日本は哀れな国ですね。…世界の人に言いたい、日本には来るなと。外国人が日本で働くのは、税金を払うロボットになるのと同じです」と、記者会見で鄭さんが悔しさをにじませつつこう話すのを、私は聞いているほかなかった。最高裁判決は「裁量の範囲内として都の措置を追認した」のみで〝無害〟といえよう。日本は人口減少期に入り、外国人の存在なしには社会が成り立たなくなっている。鄭さんの発言が、今なおずっしり重く響く。
金弁護士が1949年生まれ、鄭さんが1950年生まれ、そして1952年、日本政府は一方的に「在日」は「外国人」だと宣告、あとは国籍を理由に差別する。二人はそれに異を唱えたことになる。2018年、人種差別撤廃委は「在日コリアンに対し、…公務員として勤務することを認めるよう(日本に)勧告」した。日教組も、今年の運動方針に、「外国人を教諭とし、管理職資格も認める」ことを盛り込んだ。ドイツの辛淑玉さんから連絡を受け、27日、病床を訪ねたが、言葉を交わすことは叶わなかった。鄭香均さん、あなたが挑戦した「当然の法理」は、今や大きく揺らいでいますよ。合掌
(2019.07.24 民団新聞)