掲載日 : [2019-07-10] 照会数 : 6932
在日2世の陳賢徳さん、韓日友好願い陶磁器美術館建設へ..
[ 陳賢徳さん ]
蒐集資料1千点 5年以内目標に
日本の近世以降における陶磁器生産の展開には、壬辰倭乱のときに韓半島から連行された陶工も大きな役割を果たした。代表的なのが薩摩焼、有田焼・伊万里焼、唐津焼、萩焼などだ。これらに加え、高麗時代の青磁、朝鮮時代の白磁、日本でも「高麗茶碗」として珍重された粉青沙器などを収蔵した「陶磁器美術館」(仮称)を日本で設立するのが在日2世実業家、陳賢徳さん(63、民団栃木本部議長)の夢だ。5年後のオープンを目指している。
予定通り竣工すれば、陳さんがこれまでに蒐集してきた韓半島ゆかりの陶磁器1000点余りを一堂に展示。焼きものの歴史を学べる講座も開講していく。陳さんは「身近な陶磁器を通じて、日本人の韓半島を見る目が変わってくることだろう。在日には自信につながる。お互い仲良くなれるきっかけにしたい」と話す。
陳さんが韓半島由来の陶磁器に感心を持つようになったのは金達寿氏の小説『苗代川』だった。同小説は1966年に薩摩焼の窯元第14代沈寿官を鹿児島県の苗代川に訪ねた時の様子をほぼ事実そのままに作品化したもの。
小説を読んで感銘を受けた陳さんは九州に旅行し、第14代沈寿官氏の自宅を訪ね、初対面ながら心のこもった歓待を受けた。さらに長崎では孔子廟・中国歴史博物館を訪ね、在日華僑が日本文化の発展に貢献したとの説明書きを見て奮い立った。「陶磁器美術館」の建設はこのときに決意。当時28歳だった。以来、今日まで決意が揺らぐことはなかったという。
韓日友好のために活躍するという自らに課したミッションを完遂するために慶応大学の大学院で学び、MBA(経営学修士)を取得。88年には遊技業を経営する父親と事業に対する考えかたの違いからたもとを分かち、近代的な事業感覚を生かした不動産賃貸業を始めた。現在は栃木県内4か所を中心に複合レジャー施設の開発・賃貸を全国14施設で展開している。2018年12月期の売上高は23億円。
55年、栃木県足利市生まれ。当時の家業が「朝鮮料理」だったことからついたあだ名が「朝鮮屋」。3歳で肋膜炎を患い、3カ月にわたり長期の入院生活。そのためひ弱な体質になり、幼少時からいじめの標的に。喧嘩に負けるたび父親からげんこつの洗礼を受けた。いじめられたからこそ、韓国と日本の友好のために何かできないかと考えるようになった。「自分が体験したいじめを次の世代に持越してはならない」と。
韓国国立中央博物館が韓国の近代書画を所蔵している栃木県佐野市郷土博物館(山口明良館長)に貸し出しを要請してきたときのこと。佐野市議会は「韓国に文化財を貸して安全に返してくれるのか」と懸念を表明した。
この間、岡部正英佐野市長から事情を聞いた陳さんは早速動いた。山口館長と茂木克美学芸員を伴って駐日韓国大使館に金敬翰公使を訪ね、金公使を通じて韓国側の心のこもった保証を引き出したのだ。佐野市側は最終的に快く貸し出しを決定。国立中央博物館が3・1独立運動と大韓民国臨時政府樹立100周年を記念して企画した特別展は凍っていた韓日文化交流に春の気配をもたらした。
座右の銘は「愚公山を移す」、「志を得ざれば再び此の地を踏まず」。陶磁器美術館オープンを「5年後」と期限を切ったのは自らを鼓舞して必ずや実現してみせるという決意の表れでもある。
現在、作新学院大学経営学部と宇都宮大学大学院工学研究科の客員教授として経営学概論を教えている。
(2019.07.10 民団新聞)