掲載日 : [2019-08-28] 照会数 : 6964
「道なきところに道を」韓国人会会長 李羲八さんの半生記
[ 李羲八さん(右)と著者の長澤秀さん ]
樺太帰還在日
韓国人会会長 李羲八さんの半生記 出版
解放後、望郷の思いを抱きながらサハリンに取り残された同胞の帰還運動に半生をささげた李羲八さん(96、「樺太帰還在日韓国人会」会長)への聞き書きがまとまった。在日朝鮮人運動史研究会会員の長澤秀(しげる)さん(68)が足かけ10年かけて記録し、関連資料集とともに出版した。タイトルは『遺言』。
李さんは慶尚北道英陽郡生まれ。実家が貧しい小作農家で職がなかったため1943年5月、故郷の面事務所に掲示されていた樺太人造石油株式会社の坑外夫「募集」に応募。2年の約束でサハリンに渡った。契約満了直前の45年6月に現地再徴用となり、解放の日を迎えた。
58年1月、日本人妻の同伴者として日本に引き揚げることができた李さんは、翌月には「樺太帰還在日韓国人会」の前身となる「樺太抑留帰還韓国人同盟」を結成。人為的にサハリンに取り残された同胞からの手紙を韓国の留守家族に取り次ぎ、66年には帰還希望者1744世帯6924人分の名簿をつくった。この名簿は韓国政府から日本政府とソ連政府へと提出され、外交交渉の一資料となった。
日本人研究者 10年がかり聞き書き
88年には金徳順さん(67)とその親族を伴って金さんの故郷、全羅南道光州市を訪問。母親(88)との再会を実現させた。サハリン在住の韓国人が祖国を訪問できたのはこれが初めて。会の執念が「道なきところに道を」切り拓いたのだ。李さんはうれしさのあまり自分の再入国許可を忘れてしまったほど。
これが呼び水となり、約5000人にのぼる韓国永住帰国が実現した。李さんは「僕らみたいな金もない、知識もない、学もない、それこそ何もない、こぶしひとつでそこまで成し遂げたんです。それから日本政府が資金を出し、韓国が土地を提供して安山(京畿道)に家を建てたんだから目的は達成した」と長澤さんに誇らしげに語った。
長澤さんは元高校教員。大学生時代に読んだ朴慶植氏の著書『朝鮮人強制連行の記録』(未来社、65年)に感化され、真偽を知りたいと地元の常磐炭田について調べ始めたのがこの研究にのめりこむきっかけとなった。李さんとは06~07年ごろ出会った。李さんから話を聞くうち、記録する必要性を感じ、聞き書きを申し入れた。
長澤さんは「日本と韓国の間には深い溝が横たわっている。私自身が小さな石になってこの溝を埋めたかった。石が無限に続けば、やがて浅瀬になることでしょう。どうか若い人たちにこの本を読んでほしい」と話している。「朝鮮時代」、「樺太時代」、「日本時代」の3章と資料編で構成。三一書房(03・6268・9714)から刊行。2800円(税別)。
(2019.08.28 民団新聞)