掲載日 : [2006-11-15] 照会数 : 7690
縁しの糸が韓日結ぶ 「百済門」除幕式で初披露
[ 百済門を飾ったタテ3㍍ヨコ6㍍の千字文緞帳 ]
千字文の緞帳 1字1針に思い託す
王仁博士の治績をしのび
丹青の色も鮮やかに完成した「百済門」(大阪府枚方市阪東町)に、千字文の描かれた緞帳がしっとりと調和していた。10月14日の除幕式で初めてお披露目されたこの緞帳は、白布に1文字1文字墨で書き込んだものを11㌢角に縫い合わせてできた。参加した書道家は100余人。日本に千字文を伝えた王仁博士に思いを馳せ、感謝の気持ちを込めたものだ。
書道家など100余人の手で
「百済門」は、百済から渡来し漢字(千字文)と儒教を伝えた王仁博士の墓地とされる伝王仁墓=大阪府指定史蹟=の入り口に、韓国の伝統建築様式によって建立された。その除幕式は時空を越えて、韓国、在日、日本をつなぐものとなった。
伝王仁墓を守ってきた地域の人々、「百済門」の建立基金を集めた有志、そして、千字文の一針ひと針に思いを託した人たち。除幕されるまでの間、「百済門」を覆った緞帳は、三者三様の願いを古代からの縁しで包み込んだかのようだった。
この緞帳、もとは大阪市在住の詩人・里みちこさんが「千字文のタペストリー(壁掛け)」として制作したものだ。
「百済門」建立呼びかけ人の一人で長年、史蹟伝王仁墓の美化活動に取り組んでいる写真作家、吉留一夫さん(王仁塚の環境を守る会」会長)は、里さんから「千字文のタペストリー」を制作中との話を聞き、伝王仁墓に建立中の「百済門」を覆うのにサイズもぴったりだったことから、竣工除幕式にお借りしたいと申し入れ、実現した。
里さんが「千字文のタペストリー」を制作したいと思ったのは、里さんの実母、千代枝さんの供養のためだった。「千」のつく名前から千字文を多くの日本人に知らせることができたらと考えたのだという。だからはじめは、里さん一人で制作するつもりだった。
ところが、昨年7月、講演先の札幌で構想を話したところ、その場で「自分たちも参加したい」という申し込みが相次いだため、広く呼びかけることになった。条件は古いカッターシャツやシーツなどの白布に墨で書き、1字11㌢にして手縫いで仕上げることだった。
反響は里さんの予想外の広がりを見せ、8歳の子どもから95歳のお年寄りまで協力の申し出があり、半年後にはすべての文字が完成した。
里さんは布の切れ端を縦20字に縫いつけた千字文の布を受け取ると、今度はボランティア仲間の手を借りて手縫いで横につないでいった。気がついたら指先から血が出ていたこともあったという。
周囲を縁取る赤い布のところは手縫いでは弱いため、プロに工業用ミシンで縫ってもらった。これら大変な作業はすべてボランティアで進められた。できあがった「千字文のポジャギ」は縦3㍍、横6㍍。10月14日、竣工式で初めて「千字文」の緞帳を目にした関係者からは期せずして「チョワヨ」と感嘆の声が上がったのも、うなずける。
吉留さんは「『千字文の緞帳』は『百済門』の除幕式で使ったから光り輝く緞帳になった。多くの人の手によって作られた手作りの緞帳、王仁塚を守ってきた住民や関係者の心がぴったりあった。王仁塚を見守る私たちの仲間の1人、95歳ですが『千字文』を書いてくれました。王仁塚を見守ってきた人たちの思いが通じたのです」と話していた。
里さんは「いま思い返せば、多くの日本人に千字文を知らせることになってよかった」と喜んでいる。千字文の緞帳は11月20日から25日まで京都・仏教大学の「もったいない展」に出展、来年2月6日から3月10日までは東京の国連大学でも展示する。
また、吉留さんも来年4月に王仁博士とゆかりの深い全羅南道霊岩郡にある王仁廟の祝祭行事で展示したい考えだ。これには里さんも「日韓友好に役立つようでしたら」と全面的に賛同している。
(2006.11.15 民団新聞)