掲載日 : [2019-12-25] 照会数 : 10680
「北送」第1船出港から60年 新潟港埠頭で追悼式
[ 鄭愛鎮さんの追悼舞踊のあと全員が献花した ]
「地上の楽園」信じ、無念の死
【新潟】「北送」第1船が新潟港から出港してから12月14日で60年。北韓と朝総連の喧伝した「地上の楽園」を信じて北に渡りながら、経験したこともない貧困と迫害にさらされ、失意のうちに亡くなった在日同胞と日本人妻たちを追悼する式典が新潟市中央区の新潟西港中央埠頭で営まれた。北韓の人権問題に取り組む民間団体が主催した。北送同胞の親族と脱北者、支援関係者ら約50人が参加した。
「北韓と朝総連の陰謀」
「北送」第1船となった2隻の大型船には238家族975人が乗船した。この日の式典の代表を務めた脱北同胞の川崎栄子さん(77)は2隻が接岸していた目の前の岸壁を指さしながら「(乗船した)9万3000人余りは人生を抹殺されたといってもいい。なかには耀徳(咸鏡南道)や沙里院(黄海北道)の強制収容所で亡くなった人も多くいた。みんながこの日の追悼式を見守っていてくれているにちがいない」と偲んだ。
北韓で生まれ育ち、父親が在日同胞の崔政訓さん(韓国高麗大学校研究員)は「9万3000人は金日成と朝総連の陰謀によって北に渡っていかざるを得なかった。その中に私の両親もいた。今からでも遅くはない」と贖罪を迫った。
崔さんの父親は精神科の専門医だった。在日の家族の仕送りに支えられ、北韓では比較的裕福な生活を送ることができたようだが、2010年に亡くなった時には「北の地で北の山に埋められるのはいやだ」と言い残したという。「私の家族だけの問題ではない。9万3000余人すべての問題だ」
田月仙さんが「アリラン」… 朴保さんは「約束」棒げる
鄭愛鎭さん(韓国舞踊協会東京支部支部長、新宿区)による追悼舞踊に続き、参列者による献花に移った。
列には民団新潟本部の関係者のほか、いわれなき罪で兄4人を強制収容所に送られた在日2世のオペラ歌手、田月仙さんの姿が見られた。田さんが新潟を訪れたのはこの日が2回目。献花台の前では「韓半島と日本の間で1日も早く自由往来が実現する日の来ることを」願ってしばらくの間、じっと頭を垂れ続けていた。
献花の後、田さんは北送船の出航していった方向を見やりながら追悼の「アリラン」を歌った。同じく北送の叔父を持つロックボーカリストの朴保さんも北韓で生きているはずの従妹を思い、「元気でいてくれ」と願いながら「約束」という曲を捧げた。
最後に川崎代表が「清津港に降り立った時から差別と貧困の生活が60年も続いている。一部の同胞は何の罪もなく政治犯として収容されていった。北韓と朝総連が北の本当の姿を伝えていたら誰一人として北に渡らなかっただろう。彼らが犯した罪を明らかにし、北で生き残った人たちを救出するために全力を尽くす」とした宣言文を読み上げた。
(2019.12.25 民団新聞)