在日2世 行政、高校、大学と連携
【栃木】後継者不足などで栽培が衰退し、種がなくなりつつある高麗人参(別名、朝鮮ニンジン)の栽培技術を後世に伝えようと、民間プロジェクト「下野朝鮮お種人参栽培方法保存協議会」(陳賢徳会長、民団栃木県本部団長)が今年から本格的にスタートした。同プロジェクトには行政、高校、大学、栽培農家のほか民団栃木県本部も連携している。陳会長は「先人が日本にまいた韓日友好の種を大きく育てていきたい」と話している。
江戸時代に高麗人参の集荷や加工を行う「人参中製法所」があった板荷小に鹿沼市が昨年12月に新設した解説看板。陳会長が高麗人参に関することに使用してほしいと寄付した現金を充てた。かつて卒業生が作った木製の解説板は劣化し、破損していた。
会則によれば、協議会がめざすのは伝統的栽培方法の伝承と、新たな栽培方法の研究・開発。韓国政府からも支援金を受けている。メンバーは事務局も入れて20人近い。月1回のペースで研究会を開いていく。
陳会長は在日2世。「栽培に関与するのが目的ではなく、種自体を残す。日本の若い人材が将来に向けて栽培方法を学習できるようアーカイブで記録していく。資料、文献を集めてライブラリーも創っていかなければならない。基礎固めをすれば、日本の若い人材が研究者として育っていくだろう。それを民団としても韓日友好のために後押ししたい」と話した。
陳会長が高麗人参に関心を寄せるきっかけとなったのは、鹿沼市を訪問した際に佐藤信市長から「県内の生産農家は板荷の1軒のみ」と聞かされてから。危機感を共有した陳さんは足かけ5年間の準備期間をかけて鹿沼南高、宇都宮大、生産農家、鹿沼市などと「下野朝鮮お種ニンジン栽培方法保存協議会」を設立した。
栃木県で高麗人参の栽培が始まったのは旧下野の国、日光・鹿沼地区。同地区で唯一残る栽培農家、渡辺正さんによれば、対馬の宗氏から高麗人参の種60粒が幕府に献上され、栽培が始まったという。高麗人参は発芽率が極めて悪くこのうち3粒だけが栽培に成功した。これが「お種人参」の始まりだ。
同地区は朝鮮通信使の道筋にあたる幕府直轄の天領であり、気候条件も含めて高麗人参の栽培に好都合だった。やがて栃木県一帯に耕作地が広がった。
高麗人参は現在、長野県東信地区上田市でも栽培されている。やはり正式名は「オタネニンジン」であり、御神領日光で栽培に成功した種を密かに持ち帰り苦心の末、栽培に成功したようだ。このほか、島根県松江市と福島県会津地方でも栽培されている。これらの地域と意見交換を行うなど技術継承へ緊密に連携していく予定。
(2021.08.25 民団新聞)