掲載日 : [2017-12-08] 照会数 : 8195
韓国をスポーツ強国に…「在日」の貢献を語る
[ 講演する大島裕史さん
]
在日韓人歴史資料館「土曜セミナー」
大島裕史氏「64東京五輪が起点」
スポーツライターの大島裕史さんが2日、在日韓人歴史資料館「土曜セミナー」で「オリンピックと在日」と題して講演。韓国がスポーツ大国になる土台作りに貢献してきた「在日」の役割について語った。
大島さんは64年10月の東京五輪が在日スポーツの歴史を語るうえで重要だと強調した。この年の4月、大韓体育会の閔寛植会長が当時の李裕天民団中央団長と協議を行い、「東京五輪在日韓国人後援会」を発足させたからだ。
同後援会は①韓国選手の強化練習の支援②韓国からの五輪参観団3000人の招請③在日同胞応援団の結成の3つを目的としていた。この結果、在日スポーツ発展の基盤ができたという。88年のソウル五輪開催にあたっては民団が「在日韓国人後援会」を結成し、100億円もの募金を集めて韓国組織委員会へ寄付した。
講演の中で大島さんは、これまで五輪に出場した在日で特に印象に残った選手に触れた。その一人が柔道の金義泰選手だ。東京五輪は84㌔級で銅メダル。現役引退後も76年モントリオール五輪で韓国の柔道代表監督に就き、銀メダル2個、銅メダル1個をもたらした。もう一人、78年の第2回バレーボールワールドカップで最優秀選手に選ばれるなど日本の優勝に貢献した白井貴子選手も忘れられないという。
韓国は11年から特定分野の優秀な人材に対し、二重国籍を認める特別帰化制度を実施中だ。一方、五輪に出場できるような選手を育てるエリートスポーツ教育は限界を迎えているという。大島さんは「市民クラブなどに所属している選手も五輪に出場できるように育てていかなければ、韓国のスポーツは停滞の時代を進むだろう」と危機感を募らせている。
大島さんが「在日とスポーツ」に関わるようになったきっかけは94年、在日の野球団や近畿大学付属高校にいた金城龍彦選手(のちに横浜ベイスターズで活躍)に話を聞いたからだという。93〜94年、ソウルの延世大学語学堂に留学。日本に帰国してから文筆業に。
(2017.12.08 民団新聞)