掲載日 : [2017-07-26] 照会数 : 4947
<寄稿>朴炳陽氏が教えてくれたこと…アジア映画社を引き継いで 壽隆
[ 宝塚歌劇団で舞台化された「恋する輪廻〜オーム・シャンティ・オーム」のポスター ]
"映画少年の夢"忘れずに
「人生を変える1本」を求めて
2017年4月、映画プロデューサーとして活躍したアジア映画社代表の朴炳陽氏が急逝した。最近始めた山歩きの中での事故である。享年67歳。あまりにも突然な出来事に、未だに現実として受け止める事ができない。多くの関係者や友人の方々も同じ想いであろう。
人懐っこい、陽気な性格だった朴氏は、破天荒な性格ながら、どこか憎めない愛される人物であった。
朴氏は88年に「アジア映画社」を立ち上げた。当時日本でほとんど紹介されていなかった韓国映画を始めとするアジア映画を紹介するために全力を尽くした。いわば日本の韓流ブームへの道筋を繋いだ功労者の一人と言える。
朴氏と私の出会いは、脱北者を描いた10年の映画「クロッシング」の上映の時だった。その後、神戸で再会を果たした。当時、私にとっては在日同胞の先輩であり、お互い社会や政治の在り方について、共通の想いを持っていた。私も気兼ねなく、遠慮もなく、兄のように、友のように、父のように慕った。
まもなく朴氏から私に「映画のパンフレット制作を手伝ってくれないか」と声が掛かった。それ以降、時間を作れる時には、さながら"書生"のように、傍らで様々な事をお手伝いした。時には意見が食い違う事もあったが、世代を超えたこの関係は、奇異でもあり、心地良くもあり、お互い在日韓国人として生まれたからこそ繋がる特別なものだったと感じる。
1年ほど過ぎた辺りから、「俺の仕事を継いでくれないか?」と伝えられた。当時、会社員として勤務し、家庭も持っている私には、当然安易な決断はできない。
しかし朴氏は事ある毎に事業を引継いで欲しいという話をした。ある時「俺の商売を短期間でここまで理解できるのは、あんたが韓国青年会や民団で積み重ねてきた事があるからだ。あんたは言葉で人に何か伝えることにたけている。映像を見る力もある。理屈っぽいが、意義を大切にしている。意義と生業はほぼ両立しないが、映画事業はそれが可能だ」という言葉に、私は強く突き動かされた。
朴氏が北韓の現状を捉えた映画を、危険を顧みず手掛けた事は、確かに"意義と生業の両立"を目指したものであった。悩み抜いた結果、その遺志を引き継ぎ、未来に繋ぐ道筋を歩んでいく事を決めた。
私の今後の事業展開は、具体的には触れないが、大切なのは、「1本の映画が人生を変える」というような作品に出逢う事だ。朴氏と同様、少年時代から映画が好きだった私にも、忘れられない作品がある。「世界を観る」「過去を振り返る」「未来につなぐ」の3つを柱に取り組みたいと考えている。
また朴氏が情熱を傾けたインド映画「恋する輪廻〜オーム・シャンティ・オーム」は、宝塚歌劇団星組にて舞台化となった。企画プロデューサーである私も感慨深い。現在7月22日から大阪・梅田芸術劇場にて絶賛再演中である。韓日だけでなく、日印をも繋ぐのだ。
二人の"映画少年"の夢を、時代と場所と形を変えながら、これからも引き継いでいきたい。
(株式会社AsianFilms 代表取締役)
(2017.7.26 民団新聞)