「祖国は地上の楽園」との北韓当局・朝鮮総連中央の虚偽宣伝および「人道的事業」だとする日本政府・政党の積極的協力と日本マスコミ・進歩的文化人らの北韓体制賛美キャンペーンのもとで推進された「北送事業」(1959年12月〜84年7月)の開始から今年60年になる。同事業で北韓に渡った9万3340人(在日人口の7分の1に該当。日本国籍者約6800人含む)を待ち受けていたのは日本でよりもはるかに厳しい環境下の生活であった。北韓の身分体制の最下層に置かれ、日本との往来は許されず、90年代の大飢饉ではまっさきに犠牲となった。長年にわたる差別・抑圧と慢性的な食糧不足という過酷な状況に絶えられず、命がけで脱北した元北送同胞家族の一部が日本に戻ってきている。その数は約200人になる。「北送事業」に25年間全力をあげて取り組み「幻想」を振りまいてきた総連中央は、自らの責任をについて“沈黙”し、「在日同胞の願い」に対する「敬愛する金日成主席様の温かい配慮、至上の同胞愛から実現した」と強調、「資本主義から社会主義への民族の大移動と呼ばれる人類史的事変だった」などと同事業を美化してやまない。
◇「地上の楽園」と喧伝しだます
総連中央は、北送事業について「帰国運動は共和国側から提起されたわけでなく同胞の自主的要求だった」と主張している。「帰国運動の本格的な始まりは、58年8月11日に総連川崎支部中留分会の同胞たちが帰国を希望する金日成主席宛ての手紙を採択したことだ。そして、13日の祖国解放13周年記念(在日朝鮮人)中央大会で手紙の送付が決まった。主席は共和国創建10周年記念慶祝大会で在日朝鮮人の帰国を『熱烈に歓迎します』と表明、『民族的義務である』とまで述べた。総連は帰国を希望する同胞たちの要求をくみ、この運動を大衆運動として展開した」(機関紙「朝鮮新報」04年1月20日「総連第20回大会に向け知ろう総連の歩み4」)。
しかし実際には、川崎支部中留分会での金日成宛ての手紙の採択は、北韓当局の指示に基づき、「帰国運動」を扇動するため総連中央があらかじめ準備していたものであった。このことはジャーナリスト・学者らの研究により明らかとなって久しい。だが、総連中央はいまだに「帰国運動は、在日同胞たちの希望と要求から発生・発展したものである」と強弁。「在日同胞の帰国事業の実現は共和国の社会主義制度と人民的施策の勝利であり、在日朝鮮人の民主主義的民族権利争取闘争で実現した初の勝利だった」と賛美している(「朝鮮新報」15年3月2日「総連結成60周年 誇らしい歩みをたどる3」)。
金日成は、川崎支部中留分会「集団帰国決議」に先立つ約1カ月前の7月14日、面会した北韓駐在のソ連臨時代理大使に「我々は、日本在住のすべての同胞が自ら祖国に帰ってくるよう勧めており、この問題で日本政府と合意に達したいと希望している。我々は近く声明を出す」と述べ、「共和国に帰ってきた、すべての朝鮮人は、住居と仕事、すべての政治的・経済的権利を得て、彼らの子供たちは共和国の学校、大学で教育を受けることになると強調するつもりだ」と表明。その狙いについても「我々はこの最初のステップに大きな政治的意味を見いだす。(略)実現すれば、共和国に政治的、また経済的に大きな利益をもたらすだろう」と明らかにしている。
こうした北韓当局の巧妙なシナリオに基づき、総連中央は北韓を「地上の楽園」であり、「医療費はすべて無料。家や希望する仕事もあり、楽園の暮らしが保証される」との虚偽宣伝を大々的に展開。日本社会での差別・偏見と厳しい生活のために将来に不安を抱いていた多くの同胞に対して、「新国家建設のために帰国して祖国に貢献しよう」などと、組織をあげて「帰国」をあおった。
なお、
日朝協会新潟支部事務局長として「帰国運動」に積極的に関与し、その後日本朝鮮研究所事務局長、現代コリア研究所所長などを歴任した佐藤勝巳は、当時、韓徳銖総連議長と行動を共にしていた総連幹部らの話などをもとに「金日成主席から指示を受けた総連は、東京の荒川支部に、金日成主席に宛てて帰国要請の手紙を書くようにいった。ところが荒川支部は『われわれは生活に困っていない』といって手紙を書くことを拒否した。つぎに候補にあがったのが、比較的生活の貧しかった川崎の中留分会である。かくしてお膳立てがそろい、帰国事業が実施された」と指摘している(『日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか』草思社、2002年)。
「北送事業」開始前に作成された総連中央帰国対策委員会「帰国者に対する実務推進要綱」(59年4月)は「帰国者の一切の財産を祖国に運ぶために」と題して、次のような指示を傘下組織や北韓移住者らに与えている。「携帯物品に対して帰国者は祖国の富強な建設に供給することが自己の幸福を享くのと関連して(略)自己の所有物をすべて祖国へ移動すると同時に、余裕がある同胞は、祖国建設に必要な物品を少しでも購入して持って行くようにする必要がある」。さらに、「物品の購入」は総連の指導に基づくようにと指示していた。
北韓と総連中央の周到な準備のもとに、59年8月13日、インドのカルカッタで北韓赤十字会と日本赤十字社との間に「在日朝鮮人の帰還に関する協定」が結ばれた。この協定に基づき同年12月14日に「北送」が始まり、第1船2隻、ソ連船籍のクリリオン号とトボルスク号が975人をのせて新潟を出港。61年までに合計7万4779人が北韓に渡った(59年=2942人、60年=4万9036人、61年=2万2801人)。
◇「衣食住の問題は完全に解決」
総連中央が作成した「帰国者のための資料」第2集(59年11月)では「人民経済の発展と共に人民生活は毎年豊かになり、朝鮮人民は共和国北半部を地上の楽園と呼び、幸福な生活を楽しんでいる」とし、「食糧問題はすでに解決され、(略)住宅は都市には高層アパート、農村では瀟洒な文化住宅が建設され、衣食住問題が完全に解決されるようになる」と宣伝していた(
別掲「総連中央の『帰国』扇動宣伝物抜粋」参照)。
そして、日本の進歩的文化人・革新団体・政党も北韓体制を賛美し「帰国」を煽った。58年9月の北韓建国10周年記念式典に招待された寺尾五郎(日朝協会理事)は、『38度線の北』(新日本出版社、59年4月発行)で「日本が東洋一の工業国を自負していられるのは、せいぜい今年か来年のうちだけである」と断言し、「ソ連がアメリカを追い越し、中国は英国を追い越し、朝鮮はその北半部だけで日本を追い越すとしたら、世界はどう変わるであろうか」「どんなにおそくとも、1963年、4年には、朝鮮の南・北の統一がなにがしかの形をとっていると予想される」と北主導の南北統一も遠くないことを強調していた。
だが、「地上の楽園」と喧伝された北韓の生活水準は極度に低かった。日本にいた時よりも貧しく厳しい境遇を示唆する手紙が、日本にいる身内・親類に届きはじめ、62年には年間3497人へと激減。その後も一貫して減少し、67年12月(1831人)に協定期限終了により打ち切られた(155回配船、計8万8611人)。ちなみに、62年3月には、60年に「8・15朝鮮解放15周年慶祝訪朝
日朝協会使節団」の一員として北韓を訪問した関貴星(元総連岡山県本部議長・総連中央本部財政委員)の『楽園の夢破れて 北朝鮮の真相』(全貌社)が発刊されている。
第1次、第2次船での移住者の多くは、定住地や職場などで特別に優遇されたが、その後はそうではなくなった。ごく一部の総連幹部やその家族・子弟、多額の金品を献上した有力商工人家族・子弟、「利用価値」のある著名人や特別な技術・技能を持つ者などを除き、大多数の家族は、本人の経験や能力、希望とは関係なく、辺境や山奥に配置された。
ほとんどが「南地域」出身者であり、北韓には地縁も血縁もない。そのうえ「資本主義国から来た」という理由で、「動揺階層」ないし「敵対階層」として北韓の身分体制の最下層に置かれ、日常的な監視対象に。一般の北韓住民からは「帰胞」(キポ)と呼ばれ差別されるなど、過酷な状況に置かれた。
「南への帰郷も、日本との往来も遠からず可能になる」「日本人妻は3年後には里帰りできる」との総連幹部らの話も、虚偽情報だった。「日本に帰りたい」と言えば、政治犯用の精神科病院へ強制入院させられ、少しでも不満を口にしようものなら政治犯収容所に送られるか抹殺された。飢えや貧困の中、日本の親族と連絡が取れず、その後、消息がわからなくなった人が多い。
◇「協定」延長させ84年まで続行
総連中央は、「地上の楽園」ではないこと、しかも「出国の自由」などなく、再び日本に戻ってくることはできないことを知りながら、ひたすら北韓当局の指示に従い、全組織をあげて「帰還協定延長運動」を展開した。その結果、71年5月から再び「帰国船」が運航され、84年7月の最終船(第187次船)まで、さらに4729人の同胞を送りこんだ。この間、金日成主席生誕60周年の72年には、「偉大なる主席様への贈り物」として、在日朝鮮青年同盟員60人からなる自動2輪オート部隊「忠誠の青年祝賀団」に加えて、朝鮮大学校生200人が指名され「社会主義建設の先鋒隊」として送り込まれた(ヤン・ヨンヒ『兄 かぞくのくに』小学館、2012年)。
「北送事業再開」について総連中央では「(帰国船は)一時中断したが、71年に再開した。また65年、日本再入国の権利を勝ち取り祖国往来の道も開かれ、79年からは、定期的な祖国訪問が実現している」と、あたかも在日同胞にとり大きな成果であるかのように宣伝している。「総連は、権利闘争の次の段階として祖国への往来の自由を争取するための闘争を展開した。帰国の権利や往来の権利は総連と在日同胞が血と汗を流して争取した権利だった」(「朝鮮新報」15年3月2日「総連結成60周年 誇らしい歩みをたどる3」)。
79年8月からの「在日同胞短期祖国訪問団事業」によって、家族や親族訪問の道が開かれたと強調している。だが、この「往来の権利」の実態は、日本からの一方的な「祖国訪問」であり、「帰国同胞」の日本往来は最初から想定されていなかった。しかも北韓と総連中央は、北に渡った家族との面会を目的とする「祖国訪問団事業」を同胞財産収奪のために使った。訪問団事業について元総連中央本部財政局副局長の韓光煕氏は「息子に、娘に、あるいはきょうだいや父や母に会せてやるから、その見返りにカネを払え、ということ」と証言している(『わが朝鮮総連の罪と罰』文藝春秋、2002年)。
◇いまだに「自由往来・再会」認めず
「出国の自由」は、人権および自由を尊重し確保するために、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」を宣言した「世界人権宣言」(48年12月)においても「すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する」(第13条第2項)と規定されている。北韓当局は、現在まで一貫して、基本的人権で、国際法的原則である「出国の自由」および「居住地選択の自由」をまったく無視している。「帰国同胞」の日本への自由往来はもとより、一時帰省や墓参りすら、いまだに認めていないのだ。
裕福な商工人親族が日本にいる者や総連幹部の家族らは、これまで巨額な寄付・献金によって監視人同伴で、あるいは訪日代表団のメンバーの一員として帰省していた。この場合も、家族ぐるみの帰省は許していない。「帰国家族」を、総連の活動から離脱させないための「人質」にするとともに、在日家族・縁者からの巨額な送金や献金を促して利用するためだった。
総連中央は、「祖国への自由往来は在日朝鮮人の権利である」と日本政府に要求してきた。しかし、肝心な「帰国同胞」全家族の生死・住所の確認と在日家族・親戚との自由な再会・相互訪問の実現については、北韓当局に対して要求することなく、今日に至っている。
「帰国1世」と在日離散家族らに残された時間はわずかしかない。20代だった人も今では80代の高齢者となった。北韓当局は、至急実行すべき離散家族の再会問題として、出国・帰国の自由を尊重し、日本に行き、親・兄弟、親類らと再会できるように「自由往来」を認めなければならない。
「家族の再会」は、最も基本的な人道問題であり、南北双方とも加入している「市民的および政治的権利に関する国際規約」(国際人権B規約)など国際的な宣言や取り決めに明記された基本的人権(移動の自由および居住の自由)である。しかも、これまでの南北首脳会談(2000年6月、07年10月、18年4月)でも、「離散家族・親族訪問・再会問題の早期解決推進」を約束し、発表している。「帰国同胞」全家族の生死・住所の確認と在日家族・親戚との自由な再会・相互訪問は、純粋に人道的問題として、最優先的に実現されなければならない。
総連中央は、総連が本当に「在日同胞」のための組織であり、「同胞愛」を何よりも大事にしているのであるならば、北韓最高指導者に対して、「帰国同胞家族」の「一刻も早い自由往来の実現」を積極的に進言するべきだ。また、多くの犠牲を払い決死の思いで脱北し、その後韓国入りしたり、日本に戻ってきた元北送同胞家族らに対し、謝罪して支援の手をさしのべるべきである。
NHKは「いま、日韓で『帰国事業』の真相に迫る聞き取り調査が始まっている」と伝えるとともに、北韓を脱出し現在韓国と日本に住む「元帰国者」(同胞と日本人妻)のインタビューなどをまとめ、5月25日にETV特集「北朝鮮“帰国事業”60年後の証言」(60分)として放映した。
これに対して
、総連中央は「とんでもない虚偽ねつ造特集を放映して、朝鮮の最高尊厳をひどく冒涜し、朝鮮と総連を誹謗中傷した」として、3日後の5月28日に代表をNHK本局に送り、「総連が在日同胞をだまして帰国させたという虚偽とねつ造宣伝を敢行したのは、到底容認できない行為だ」と抗議した。特に「今回の報道番組は、日本国民の中に朝鮮と総連に対する悪感情と不信を意図的に助長する謀略宣伝であり、日本政府当局の反共和国圧力政策につながっていると糾弾し、直ちに謝罪して訂正するよう要求。また、今後は、このような謀略報道番組を制作、放送してはならないと警告」した(6月3日付「朝鮮新報」)。
NHKは、「謝罪・訂正要求」に応じることなく、「帰国事業の真相に迫る」第2弾として6月16日にBS1スペシャル「北朝鮮への帰国事業 知られざる外交戦・60年後の告白」(110分)を放送した。しかし総連中央は、この放映に対して「抗議」せず“沈黙”している。
前述の6月3日付「朝鮮新報」はETV特集を「虚偽とねつ造宣伝」だとしているが、具体的な指摘はなかった。しかも「抗議行動」は、ハングル面だけに掲載し、日本語面にはその後も掲載していない。総連幹部と熱誠者の目にはいっても、一般の傘下同胞および日本人読者にまで知らせる必要はないということなのだろう。「NHKへの抗議」記事は、多くの同胞のひんしゅくを買いこそすれ、支持を得られるものではないからだ。金日成政権とその指示に基づく総連中央が「地上の楽園への帰国」だと喧伝、組織を挙げて推進した「北送」が「凍土の共和国」への送還であったことは、在日同胞社会では周知の事実である。もはや金日成・金正日・金正恩3代世襲独裁体制に幻想を抱き、総連中央の主張や宣伝をそのまま受け入れる同胞はいない。
なお、「朝鮮新報」(4月12日付ハングル面)は「帰国同胞たちが伝える金日成主席様の愛 太陽節を迎えさらに大きくなる欽慕の情」との大きな見出しと写真(金日成主席様が第一次帰国船で祖国に戻った在日同胞たちを接見された)入りで、「主席様は、過去亡国の悲しみを抱え異国の地に連行された在日同胞にも、朝鮮の海外公民としての矜持と誇りを与え、帰国の船路も開き、社会主義祖国でなに不自由なく幸福を満喫するようにさせた。在日同胞の祖国への帰国実現60周年を迎える今年、意義深い太陽節に際して帰国同胞に会い、絶対に忘れることのできない主席様の愛について聞いた」とし、二人のインタビューに多くの紙面を割いていた。
◆総連中央の「帰国」扇動宣伝物抜粋◆
□総連中央常任委員会宣伝部『帰国者のための資料』第2集(59年11月)
「人民経済の発展と共に人民生活は毎年豊かになり、朝鮮人民は共和国北半部を地上の楽園と呼び幸福な生活を楽しんでいる」「在日60万同胞がすべて帰国しても、食糧は十分に保障して余るくらいになった。(略)第1次5カ年計画期間内に(略)副食物でも味が良く、栄養のあるものをいくらでも食べて余りあるようになる。(略)その昔、絹の服を着て白飯に肉のスープを飲んで暮らしたのが一部の千石持ちの金持ちだったとすれば、今日すべての農民が万石持ちにも劣らない生活をしているのだから、共和国を『地上の楽園』だというのは決して偶然ではない」
□総連中央常任委員会宣伝部編『在日同胞の帰国実現のために-帰国問題に関する資料及び問答集』(59年12月)
「法令で1日に8時間だけ働くようにし、(略)残りの時間は自分の思うがまま自由に過ごせるよう保障している。このほか労働者、事務員たちに1年に2週間ないし1カ月間有給休暇を保障している。(略)賃金を賃金通り受け取りながら、家で休息することができ、倶楽部、民主宣伝室、図書館、劇場、映画館、公園、競技場で娯楽を楽しみ、国家の保障で有名な温泉地、名勝地にある休養所、静養所に行って休息する権利も保障されている」「自分が住みたいところに暮らし、技能に応じてしたい仕事ができる。(略)これは人民自身が国の主人公であり、人民自身が自己の運命と幸福を開拓していく政治社会制度の優越性から出発している」「帰国する同胞の子女はその希望に従い、祖国の各級学校と外国留学を国で保証するだろう」
朴容正(元民団新聞編集委員)