
今年10月16~22日、済州道で7日間の熱戦が繰り広げられる第107回全国体育大会(国体)。在日同胞選手団は1953年の初参加から数えて73回目、これまで派遣した選手は累計約4000人にのぼる。その団長に就任したのは、まもなく93歳を迎える洪純一氏。済州道での過酷な幼少期、戦時中の激しい差別を耐え抜いた経験、そして電電公社(現NTT)への就職など、激動の時代を生き抜いてきた。国体に向けた熱い闘志と、次世代への思いを語った。
――今回の済州道での国体在日選手団の規模は選手120人、役員30人、応援団50人の計200人規模になる。計14種目に出場する予定で万全の体制で本番に臨む。開会式では、在日選手団が在外同胞の先頭を切って入場行進を行い、大統領も臨席する大舞台。テレビ中継もされ、その最前列に本人が立つ。選手団長としての意気込みは。
「とてもウキウキしている。人生の良い機会。選手団長として誇りをもって全うしたい。今回重大な任務を仰せつかり、大変責任を感じている。歳も93になるので、この夏をいかに(健康に)過ごすかを考えている。立派な引率団長でありたいという気持ちだ。『故郷に錦を飾る』。誰もが知っている言葉だが、その意気込みで頑張りたいと思っている」
――7歳で済州島を離れて以来、約85年ぶりの「故郷への錦」となる。済州島に対する思いは。
「私の生まれ故郷は涯月(エウォル)という場所だ。当時はお米なんてなくてね、サツマイモ、ジャガイモ、アワで育った子どもの頃の記憶が焼き付いている。4~5歳の頃、外で馬や牛の糞を拾い集めた。草食動物の糞だから不思議と匂いはしない。それを家に持ち帰って燃料にし、お粥を炊く。冬になれば足が霜焼けで真っ赤になった。コムシン(ゴム靴)を買うお金なんてないから、自分でわらじを編んで歩いた。寒い冬はとても大変だった」
――戦時中に民族名を名乗り続けることは並大抵の覚悟ではなかったはず。
「7歳ぐらいで日本に来て、1年ほどで日本語を覚えた。当時は戦時中だから、むっちゃ差別を受けた。戦時中も本名(洪)で通したためにいじめを受けた。今はいじめられたら問題になるが、帝国時代の戦時中だから、いじめられるのは何ともない時代。雑草は踏まれるほど強くなるわけだが、まさに雑草のごとく生きながら終戦を迎えた。ちょうど小学校を卒業するタイミングだったが、寺子屋に通ってハングルを習った」
――学生時代はスポーツに打ち込んでいたそうだが。
「マラソン、長距離走には自信があった。中学生の頃は駅伝に燃え盛った。高校時代は、近くにある飯盛山の急斜面で山登り競争をよくやった。登るのがしんどいのは当たり前だが、実は下りもうさぎ跳びみたいにポンポン行くから息が続かなくて、むっちゃしんどいという経験をした。(顔が)真っ黒になるまで走り回っていたから、当時のニックネームはインドのカラスだった。そこで気づいたのは、人生、登るのもしんどいが、下るのも同じくらいしんどいということ。子供の頃から過酷な人生を送ってきたからこそ、しんどい状態を当たり前として受け入れ、へこたれない。苦労は身に染みているから、その苦労をあまり苦労と思わない」
――戦後まもない1954年に在日が就職するのは「宝くじ並みの難関」だったと聞く「電電公社」入社のエピソードを。
「韓国戦争が終わった翌年だった。実は就職試験を受けに行った理由は不純で、友達から就職試験を受けたら、その日の学校の期末試験をサボれるぞと言われたからだ。通るわけがないと思って受けたら、友達はみんな落ちて、なぜか私だけが一次試験に通ってしまった。ところが、公社側の連絡間違いで私にだけ面接通知が届かないというハプニングが起きた。それが結果的に災い転じて福となすとなった。別の日に改めて面接を行うことになり、私が唯一成績の良かった化学の先生が、私のために強力な推薦状を書いてくれた」
――面接では「李承晩ライン」について聞かれたそうだが。
「李承晩ラインについてどう思うかと非常にデリケートな質問だった。そこで私は、隣同士は仲良くすべきで、毎日喧嘩のニュースを聞くのは心が痛むと答えた。この回答と先生の推薦状が響いたのか、近畿電気通信局のとても偉い営業部長さんに気に入られ、見事合格した。その後15年間勤めたが、やはり国籍の壁で管理職への昇進は難しく、退職した。私の青春を捧げたと言える、人生の大きな誇りだ」
――93歳の引率団長ということで注目を集めると予想されるが。
「かつて寺子屋で習ったハングルが今回役に立ちそうだ。現地のマスコミが取材に来た際、選手団長が韓国語をほとんど喋れないようでは格好悪すぎる。当然、現地マスコミからも色々と質問を受けるだろう。その時に『分かりません』では在日の恥になりかねない。自慢話で恐縮だが、その辺りは滞りなくこなせる自信があるので安心してほしい。そこも重要な要素だと思い、あえてお伝えしておく」
――選手団長から出場選手たち、そしてこれからの日本社会を生きる若い同胞へメッセージを。
「日本でこれからも生きていく上で、何よりも大事なのは自分に力をつけること。力がないと社会では生きていけない。身につけるべき力とは、体力、精神力、知識力。なかでも一番の基本は体力だ。歩くことが体力をつける一番の方法だ。選手たちがどのような成績を残すのかが最も大事。開会式から閉会式まで選手と共にしたいと思う」
洪さんは大阪・旭支部で支団長を二期、権益擁護委員会では大阪本部で委員長、中央本部で副委員長を歴任した。