掲載日 : [2020-01-29] 照会数 : 6720
時のかがみ「高麗尺を使うように」…キム・英子・ヨンジャ(歌人)
[ 上竹原古墳の奥室壁画 ] [ 高麗尺の方眼にあてはめてみると(撮影と図版作成は牛嶋英俊さん) ]
互いの基準に思いめぐらせて
中学3年生の時に桜田淳子の「十七の夏」がヒットした。私や友だちは、17歳の夏に素敵な出会いがあるような憧れを抱いたものだ。
けれども実際は、17歳の夏休みにはTシャツとジャージ、首にはタオルをかけた姿で汗だくになっていた。高校の文化祭は夏休み明けに開催される。所属していた郷土部では竹原古墳の実物大模型を展示するのが恒例で、それを作るため、夏休みでも日曜日とお盆以外は毎日学校へ通って作業をしていたのだ。
竹原古墳は福岡県宮若市にある6世紀の装飾古墳で、2つの石室をもつ。奥室壁画に赤と黒で描かれた波や、馬を引いた人物、怪獣、舟とさしばが描かれた国指定史跡である。
筑豊の装飾古墳について地域史研究家の牛嶋英俊さんが興味深いことを書いている。同市の損ケ熊古墳の奥壁に6世紀末としては異例の赤い格子文様がみつかり、その解釈に困ったという。「ある日、ふと思いついて36㎝の方眼を壁画の実測図に重ねてみた。
古墳やその石室の設計には朝鮮から伝わった『高麗(こま)尺』という古代のものさしが使われており、これが35~36㎝に相当するのだ。やってみるものだ。文様はぴたりと方眼に一致、格子文様は高麗尺で1尺の方眼だったのだ。」(朝日新聞「筑豊さんぽ道」)
竹原古墳の壁画にも試してみると、馬や人などの各アイテムがこの方眼上に割り付けられていた。他に型紙の技法もみられ、ダイナミックなこの壁画は、実は道具や器材を使った職人芸の作品であるとわかったそうだ。
ところで、「短歌研究」1月号に、思想家の内田樹さんと歌人の吉川宏志さんの特別対談「いま発すべき声(voice)、歌うべき歌」第1部の「韓国と短歌」が掲載された。現在の日韓関係を考察しつつ、短歌は韓国をどう詠ってきたか、近・現代の歌人たちの作品の背景にある歴史や心情について語り合った、20頁にわたる特集である。
ときめきし古(いにしへ)しのぶこの國のふるき
うつはのくさぐさを見つ
若山牧水
空間のなみだつごとき
気配して起きゐたる
六月二十六日の朝
佐藤佐太郎
若山牧水は1926(昭和2)年に朝鮮を旅行し、佐藤佐太郎は韓国動乱勃発の翌朝を詠んだ。
この対談を読んで、15年ほど前に言われたことばを思い出した。「私は筑豊に生まれ育ったので周りには在日の人がたくさんいたけど、その人たちが何を思っているか知らなかったし、考えもしなかった。キムさんの短歌を読んで、そのことに気がつきました」と。
何かと対峙する時、自分の基準だけで考えては理解に近づくことはできない。相手の基準に思いをめぐらすことが必要だろう。もし、私のうたが在日韓国人を知る手がかりになれば、とても嬉しい。高麗尺の方眼のように。
(2020.01.29 民団新聞)