掲載日 : [2020-03-11] 照会数 : 6542
時のかがみ「国立慶州博物館」荒木潤(翻訳・執筆業)
[ 豊富な収蔵品を誇る慶州博物館 ]
解説ボランティアで様々な出会いを経験
荒木 潤 (翻訳・執筆業)
私が慶州へやって来て、9年になる。当初は学術研究のための滞在のつもりだったが、結局いついてしまった。これまで慶州で研究活動やカレー屋の運営の外、様々な活動をして来たが、特に印象に残るものとして、2013年から約4年間行った国立慶州博物館の解説ボランティアがある。
慶州博物館は古代新羅の文化財を大量に所蔵する、韓国を代表する博物館である。その起源は植民地期の1915年頃に開設された慶州古蹟保存会陳列館に求めることができる。慶州の近代史を研究する者として、慶州博物館の変遷やその社会的役割を深く考察する機会になればとボランティアに応募したのである。
ボランティアとは言え、第一線で来館者と接する博物館の「顔」であるし、来館者から専門的な質問を受けることもあるので、事前に本格的な教育を受けることになる。これは私にとって慶州の歴史や文化財に対する知識を深める上でまたとない機会となった。
当初は日本人の来館者を対象に日本語で解説するつもりだったが、ちょうどその頃、独島・竹島問題が再燃し、円安も加わり、日本人来館者が急減していた。手持無沙汰になり、試しに韓国語で韓国人来館者を相手に解説してみると案外反応がよいことが分った。
「日本人がわが新羅文化を紹介するらしい」。物珍しさも手伝ってか、そんな噂が立ち、遠方からわざわざ私の解説を聞きに来る韓国の人もいた。解説ボランティアを通じて様々な人々との出会いがあったが、ある時、関西から来た在日の家族を今でも時々思い出す。
その家族は父母と若い娘2人で、父方の先祖は慶州の李氏とのこと。慶州李氏は元は新羅王朝を支えた有力貴族で、現在韓国で大きな血縁集団を形成している。彼らは自分たちのルーツをたどりに慶州を訪れたのだという。おのずといつも以上に解説に熱が入った。
特に印象的だったのが20代と思しき、2人の娘の雰囲気だった。韓国語はできないようだし、見た目は日本の若い女性と何ら変わらない。しかし、何のためらいもなく、自分たちの出自を表明し、目を輝かせながら喜々と私の説明に聞き入る姿はさわやかで堂々としていた。きっと彼女たちは古代新羅の展示物に触れながら、当時活躍した先祖の姿に想いを馳せ、自分たちの存在を再確認し、日本に帰って行ったことだろう。 新羅千年の古都に立地する慶州博物館は優れた文化財を通じ、古代新羅の栄華とともに当時盛んだった周辺国との交流のさまを伝えてくれている。数ある展示品は新羅と日本が政治的な対立を繰り返しながらも文物・文化交流の窓を決して閉ざしはしなかったことを物語っている。当時は国境線があいまいであっただけ現代よりも交流のあり方はむしろもっとおおらかだったのではないだろうか。
日韓の境界に生きる彼女たちには、連綿と続いてきた両国の交流に想いを馳せながら、両国をつなぐ役割を楽しく、しなやかに担ってもらえればありがたい。
※荒木潤さんの「時のかがみ」は今回で終わります。
(2020.03.11 民団新聞)