掲載日 : [2020-04-23] 照会数 : 9409
朝鮮通信使 善隣友好の径路を歩く<40>埼玉県(川越)
[ 時の鐘(川越) ] [ 江戸の町屋(川越) ] [ 通信使ゆかりの資料を所蔵する川越氷川神社 ]
行総の感動「川越唐人揃い」に
昭和の香りがする、川越の喫茶店の壁に「川越唐人揃い」のポスターが、貼られていた。朝鮮通信使が通った街道沿いから離れたところでも「唐人」の冠のつく通信使を真似た祭りが、日本のあちこちで開催されている。
唐人とは、今で言う中国ではなかった。異国、すなわち隣国・朝鮮国を称した時代だった。いろいろな説があるが、私はそう思っている。
ところがここでの催しは、異国が進化して、埼玉に住む在日韓国・朝鮮人だけでなく、タイ、フィリピン、ベトナム、モンゴルの人たちも自国の民俗衣装を着て踊る。資料には、沖縄のエイサー、アイヌ文化、日本民謡などを愛する人たちも参加する。すなわち、2005年から復活した「多文化共生・国際交流(仮装)パレード」とサブタイトルが記されていた。
蓮馨寺をスタートして、参加者は蔵造り通りと昭和の街でパフォーマンを披露して蓮馨寺に戻り解散となる。
そもそものはじまりは、明暦元年(1655年)だった。川越商人・榎本弥左衛門(寛永2年生まれ)が、江戸で通信使の行列に出会ったときの経緯を『榎本弥左衛門覚書』に残していた。【榎本弥左衛門著、大野瑞男校注 東洋文庫】
朝鮮使節が来朝、明暦元年未10月2日牛の刻品川へ入り、申の刻本町を通る。『徳川実紀』同日項に、朝鮮通信使入府により「韓人の行総をみんとて、貴賤男女芝浦辺に群集する」
その時の感動を、弥左衛門は「川越唐人揃い」として再現した。このような現象は、三重県・藤堂藩城下町・八幡神社の祭りでも「津の唐人行列」として残っている。この祭りは時代が古く、寛永12年(1636年)となっていた。
それから、東玉垣町に伝わる「唐人おどり」は、須賀社の牛頭天王春祭として奉納された。それは唐人の格好を模した3人が、ラッパやドラ、団扇を持ちながら、ひょうきんに跳ねたり踊ったりする祭りだった。
朝鮮通信使の影響は、祭りだけでなく「唐人姿」「ラッパ持ち唐人」と人形にも現れている。三春人形(福島県)、伏見人形(京都)、相良人形(山形県)、小幡人形(滋賀県)等々。異文化に接することが無かった時代の名残として、現在でもお土産として売られている。
川越氷川神社には「唐人揃い」が描かれた「氷川祭絵巻」。奉納された「朝鮮通信使行列図大絵馬」などがある。
氷川神社に掲げられた「縁結び風鈴」の歌をもじると、その昔、日本人は「風が想いを運んでくる」と信じていた。目には見えない風が奏でる、清らかで涼しい音色。
チリンと音が聞こえたら、朝鮮通信使がやって来た。
藤本巧(写真作家)
(2020.04.24 民団新聞)