掲載日 : [2020-06-26] 照会数 : 7044
<寄稿>韓国戦争から70年…朝鮮学校歴史教科書の記述を斬る <上>
[ 北韓軍の侵攻を阻止するために破壊されたソウルの漢江鉄橋(左)と破壊された平壌の大同江鉄橋によじ登り南側へ避難する人々 ]
「南侵」を「北侵」と捏造・責任転嫁
歴史事実を歪曲
1950年6月25日の韓国戦争(「6・25」/朝鮮戦争)勃発から今年70年になる。この戦争は3年あまり続き、同胞だけでも数百万人が犠牲となった。しかも国土を荒廃化させたのに加えて南北分断を決定的にし、1000万人にものぼる離散家族の悲劇を生んだ。「6・25」は北韓の金日成が武力統一のために、スターリン(ソ連)と毛沢東(中国)の承認と援助を受け電撃全面南侵し開始したものだった。だが、この戦争について北韓・金日成王朝体制の忠実な代理人である朝総連中央は、「南側・李承晩の全面奇襲北侵によって開始された」と歴史捏造と虚偽宣伝を一貫して繰り返している。
例えば、機関紙「朝鮮新報」(6月5日付)は「6・25戦争から70年 熾烈な長期戦」という連載の第1回「年代と世紀を継いで持続する米国との対決/朝鮮人民が決起した『正義の戦争』」を掲載。冒頭に「売国逆賊の李承晩徒党の傀儡(かいらい)軍隊は今日早朝、38度線全域にわたって共和国北半部に反対する不意の武力侵攻を開始しました」「米帝の直接的な操りのもとに李承晩傀儡徒党はずっと前から共和国北半部を侵攻するための準備を進めてきた」などとの「主席(金日成)さまの戦時演説」を紹介している。筆者は編集局長の金志永・前平壌支局長だ。
そして朝総連が運営する朝鮮高級学校(高校)では、歴史教科書などを通じて「米国の指図を受けた李承晩が引き起こした」と歴史を完全に歪曲して教えている。ばかりか、中国軍の参戦と作戦指揮・指導によって敗北を免れ、3年後に休戦にこぎつけたにもかかわらず、金日成の「卓越した指導」によって「祖国解放戦争」に「勝利」したと美化し、戦争責任を転嫁するとともに金日成個人崇拝および神格化に尽力している。
朝鮮高級学校で使用されている歴史教科書「現代朝鮮歴史 高級1」は以下のように記している(「第2編 祖国解放戦争」)。「共和国政府は、祖国の平和統一を終始一貫主張し続け、米帝と李承晩の戦争挑発策動が絶頂に達した時にも、なんとしてでも戦争を防ぎ平和統一を実現するためのあらゆる努力を尽くした。しかし南朝鮮当局は、全面戦争に挑発する犯罪の道へと進んだ」「米帝のそそのかしのもと、李承晩は1950年6月23日から38度線の共和国地域に集中的な砲射撃を加え、6月25日には全面戦争に拡大した」「敬愛する金日成主席様におかれては、(25日の)会議で朝鮮人をみくびり刃向かう米国の奴らに朝鮮人の根性を見せてやらねばならないとおっしゃりながら、共和国警備隊と人民軍部隊に敵の武力侵攻を阻止し即時反攻撃に移るよう命令をお下しになった」
武力統一を企図
だが、史実はどうか。「6・25」は、金日成が武力統一のためにスターリン、毛沢東の了解(共同謀議)の下に周到な計画と準備を整え開始したものだった。このことは、90年代になり、冷戦崩壊後の旧ソ連の最高機密文書・史料公開などによって、もはや誰も否定できなくなった。ロシアの国際政治学者・歴史家のA・V・トルクノフは『朝鮮戦争の謎と真実‐金日成、スターリン、毛沢東の機密電報による‐』(草思社、2001年)で、戦争をめぐる北韓・ソ連・中国の関係はスターリンが毛沢東、金日成に対して指令を下す関係にほかならなかったことを明らかにしている。
金日成は49年3月にはモスクワでのスターリンとの会談で南侵の意思を表明。スターリンは50年1月に計画を承認し、4月に金日成をモスクワに呼んでいる。金日成はスターリンの指示で5月に北京で毛沢東と会談して計画を説明、支持を得た。この後、北韓は6月7日に祖国統一民主主義戦線が韓国の諸政党と社会団体に、同19日には最高人民会議常任委員会が韓国国会に、それぞれ平和統一方案を提示し対話を呼びかけた。全面南侵はその6日後だった。
ワシントンの米国国立公文書館(NARA)が所蔵する160万ページにのぼる厖大な北韓の内部資料(戦争中の奪取文書)に目を通したジャーナリストの萩原遼(元「赤旗」平壌特派員)は、『朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀』(文藝春秋社、1993年)で、「開戦」が北韓軍の周到な準備の末の奇襲攻撃によって行われたことを北韓の極秘資料を使って解明した。
萩原遼は、655軍こと朝鮮人民軍第6師団の政治部が6月13日にだした南侵計画書「戦時政治文化事業」(38度線の至近距離への移動に始まり集結区域での戦闘準備の確立、攻撃開始から占領地での行政にいたるまでの段取りを評細に指示した最高秘密文書)を発見している。また、6月23日から24日深夜までに38度線の数百㍍ないし数キロのところに全人民軍7個師団のうち5個師団が集結していることをつきとめた。これらの師団傘下の部隊が6月24日深夜から先制的に南侵した事実を記した文書も発見した。
東西冷戦後に公開された新資料に依拠して、戦争の全過程、全体像を描き出した『朝鮮戦争全史』(岩波書店、2002年)の著者である和田春樹・東京大学名誉教授は、「ソウル新聞」(2010年6月16日付「韓国戦争60周年企画」)のインタビューで「韓国戦争は北韓が明確に武力で統一しようとの目的で南韓に侵入したものだ。北韓の南侵をスターリンと毛沢東が支持した。(略)金日成が3度ほどスターリンに南侵(計画承認)を要請し、結局、スターリンがこれを受け入れ、韓国戦争が起きた」と指摘している。
北韓が不意打ち
和田名誉教授の『北朝鮮現代史』(岩波新書、2012年)の第3章「朝鮮戦争」の小見出しは「開戦許可求める北朝鮮」「スターリンのゴー・サイン」「金日成、ソ連・中国を歴訪」「三段階の作戦計画」「開戦」など。「開戦」の本文では「北人民軍への攻撃命令は、6月23日と24日に出された。そして軍事行動は25日未明に38度線の全線ではじまった。シトゥイコフ大使は26日にモスクワに報告している。(中略)6月25日は日曜日であり、北人民軍部隊の攻撃は韓国軍にとって完全に不意打ちだった」と述べている。
朴容正(元民団新聞編集委員)
(2020.06.25 民団新聞)