掲載日 : [2020-04-11] 照会数 : 6628
時のかがみ「釜山のソリ」桃井のりこ(編集者・プロデューサー)
[ チャガルチ市場(鈴木圭撮影) ]
音が伝える釜山の歴史と情
桃井 のりこ (編集者・プロデューサー)
先日、釜山での旧知の友人である金義中さんに「桃井さん、釜山のソリを知っていますか」と聞かれた。釜山のソリ? キョトンとした顔の私に金さんは、釜山のソリについて説明してくれた。
その代表がチャガルチ市場に飛び交うアジュンマ(おばさん)たちのかけ声「オイソ、ポイソ、サイソ」だ。釜山の方言で「来て、見て、買って」を意味する。韓国最大の水産市場の活気の柱はアジュンマたちのリズミカルな声で、それに呼応する客の声もにぎわいを倍増させる。港町の風情が今も漂うチャガルチ市場は、釜山らしい見どころといえる。
もうひとつが1920年代から少し前まで、影島で鳴り響いていた「カンカン! カンカン!」という音。かつて、釜山港対岸の影島では、早朝、アジュンマたちが停泊する船をハンマーでカンカンと叩いていた。
これは、船の側面に付着した海塩によるサビを落とすためで、アジュンマたちはビルの窓拭きのように、ロープを使って作業をしていたという。この姿はカンカンイアジュンマの名で、懐かしく語り継がれている。
どちらのソリも朝鮮戦争後、港湾都市として大発展を遂げた釜山を支えてきた、たくましく、心が強い釜山の女性たちによるものだ。
私が思う釜山のソリは、釜山の方言だろう。標準語との違いは語尾がヤ、ダ、ナ、イソなどに変化することだ。抑揚が強く、さらに釜山の人の声も大きいので、標準語を話すソウルの人と比べて、少しきつく感じる場合もある。そんな中で気に入っているのが「パン ムンナ?」(ごはん食べたの?)だ。ちょっとした会話のあとにさらりと出てくるひと言は、どこか親しみが込められ、耳に心地よく響く。
そして、大好きな海雲台ビーチに打ち寄せる波の音。私はいつも海に近いホテルに宿泊している。早朝、ふと目が覚めて耳を澄ますと、「ザバーッ」と砂浜に打ち寄せる波の音がかすかに聞こえてくる。そんな時、釜山にいることを実感する。海雲台ビーチの東に続く尾浦あたりは岩場のため、「ザザッー」と波の音も少し荒くなる。海雲台ビーチから歩いていると、途中から波の音とともに潮の香りが磯の香りへと変わるのも印象的だ。
3月9日、新型コロナウイルスの影響で、日韓において入国規制措置が施行された。これにより、日本人の渡韓時の査証免除が暫定停止となった。複雑な気持ちで、過去のパスポートを取り出してみた。1993年に取った観光ビザのスタンプは、27年の時の経過とともにインクの色が薄れていた。しかし、それに反比例するように、私の人生において韓国との密度は濃くなったと思う。
この嵐が過ぎたら、快晴の釜山へ行くつもりだ。夕方、海雲台市場を歩いていたら「パン ムンナ?」と釜山の人の温かいソリが聞こえてくるはずだ。
世界中で猛威を振るうウイルスが、一刻も早く終息することを願っている。
※桃井のりこさんの「時のかがみ」は今回で終わります。
(2020.04.10 民団新聞)