掲載日 : [2020-10-02] 照会数 : 5922
<寄稿>民族自滅につながる「連邦制統一」(中)
[ 大韓航空機爆破事件で逮捕され護送される金賢姫 ]
金日成の「高麗民主連邦共和国」提案から40年
「世襲独裁」の維持が目的
金一男(韓国現代史研究家)
◆南北180万の兵力と兵器の行方
「対外関係」については、「中立」が規定されている。すなわち、南は米国との、北は中国との軍事的同盟を廃棄しなければならないことになっている。
具体的には、駐韓米軍の撤退を北は要求している。北はまた、南における「国家保安法」の廃棄も要求している。
「国防」分野については、明確な規定がない。南の兵力60万人と北の兵力120万人、あわせて180万の兵力の再編、ないし指揮管理についても公式的規定はない。
まったく性格の異なる二つの強力な「地方政府」、事実上の二つの既存国家の上に、「連邦政府」が帽子のようにかぶせられているだけである。従って、仮に「中央軍」が創設されたとしても、中立的で統一的な指揮機能を持ちえないことは明らかだ。
しかも、現在の北は事実上の「核兵器強国」を自称していて、南北の軍事力は南側の通常兵器優位に対して、北の(事実上の)核兵器保有と、完全に「非対称」である。
◆エセ「統一運動」に取り込まれた若者たち
このような北の連邦制提案には、いくつかの明らかな性格と特徴がある。
第一は、「連邦制」が民族再統一の「最高形態」として定義されている。北が連邦制を提起したのは、この1980年の提案に先立つ1960年8月の提案が最初であり、李承晩政権崩壊後の混乱に乗じて南の民心を引き付ける目的で出されたものであった。
この時の提案では「連邦政府」は民族統一の最終形態ではなく、その後に「南北統一総選挙」を実施するための過渡的措置だとしていた。当時、その宣伝効果は大きく、「4・19学生革命」後の愛族心に燃えた青年学生たちは、「行こう北へ、来たれ南へ」と叫んだ。
彼らは、「連邦政府創設」後の「南北自由統一総選挙」実施、という北の主張を額面通りに受け止めていたのだった。
◆「南北統一総選挙」提案を引っ込める
だが、1957年に「全社会の土地共同化完成」を宣言したのち、北の「社会主義経済」は次第に動脈硬化を起こして減衰に向かいつつあった。一方、1970年代を通じて南の市場経済の発展は目覚ましく、南北の経済力が逆転する。
この1980年の段階では、北は60年にみずから提起した「南北統一総選挙」という正当なスローガンをこっそりと引っ込め、「連邦制」そのものを民族統一の「最高形態」としたのである。
「民族統一」を引き続き掲げながらも、「分断固定化」の性格を持つ「連邦制」の自己目的化と、それによる「体制維持」に重点を置き替えたわけである。
同時に、旧ソ連から持ち込まれた個人崇拝扇動と共に、「主体思想」「唯一思想」による「首領体制」の優位性の宣伝は激しさを増した。
個人崇拝扇動は大衆を愚弄する究極の権威主義支配の手段だが、その毒薬的効果は十分に期待できた。「君たちは何も考えなくていい、すべては首領様が決めて下さる」、というわけだ。
この流れが、今日の「社会主義的三代世襲」という、いかなる「社会主義」テキストにも存在しない王朝的独裁支配体制へとつながった。
◆激しさ増した対南軍事攻撃
同時に、1950年の「6・25」南侵に続く一連の対南軍事攻撃は激しさを増した。
1968年の「1・21」ゲリラ事件と蔚珍・三陟ゲリラ事件がそれであり、1983年の「ビルマ・アウンサン廟爆破事件」、1987年の「大韓航空機爆破事件」がそれであった。
さらに続く「天安艦事件」や「延坪島事件」など、数々の無残な「事件」の延長上に、独善的な今日の「核兵器開発」がある。
一連の事件で青春と共に命を失った多数の北の「工作員」たちは、いずれも自分たちの行動が「祖国統一」に貢献するものと信じていたであろう。だが、実際は平壤の支配者による権力維持の道具でしかなかったのだ。
「南北統一総選挙」の過程を排除した北の「連邦制」は、平壌の世襲支配体制を維持し、独裁者とその取り巻きたちの既得権を確保するための口実でしかない。
「首領体制」がもたらした核開発路線は、北の経済発展の足かせとなった。国際市場への平和的参入の道を失ったばかりでなく、有能な青年たちが核ミサイル兵器開発やハッカー養成に投入され、経済分野の人材養成はおろそかにされた。
◆第二の「6・25」につながる「連邦制統一」
「連邦制」方案の第二の問題点は、民族内部での同胞間の組織的戦闘、「内戦」に至る必然性である。
「連邦制統一」案では、「中立化」といわゆる「自主」のために、南北の「地域政府」がそれぞれの安全保障のための軍事同盟を廃棄することになっている。
現在、北の再度の南侵防止のために韓米相互防衛条約が、これに対抗して朝中友好協力相互援助条約が締結されている。これらの同盟条約が同時廃棄されたあとには、南北合わせて180万の兵力と大量の兵器が、地下に蓄えられた核爆弾と共に残される。
相互軍縮を通じて形式的に編成された「中央軍」が、その可能性は無いに等しいが、仮に十分に管理されたとしても、南北相互に数十万の「民兵組織」が即戦力として残されるであろう。
ささいな利害の対立が引き金となって、「内戦」は勃発しうる。その確率はほぼ100%と見なければならない。現状の武力的水準からして、「内戦」の結果は破壊的である。
歴史的に、域内平和は常に強力な「大国」の統制力または複数の「同盟」関係によって一定期間維持されてきた。それが人類の歴史である。戦争は常に域内勢力関係の再編過程で起こっている。異質な体制を形式的につないだ中立的「連邦制」は、力関係に変動を引き起こし、我が国を戦乱の中に投げ込むに等しい。
大国ですらその進路をみずから容易に決定できないのに、小国が、しかも内紛の種をどっさり抱えた分断国家が、どうして自らの進路を安全に自己決定できるであろうか。そのような「正義」は歴史上に存在しない。近代における「民族自決」の原則は、あくまで相対的な指標であって、必ずしも現実ではない。たしかに「米ソ冷戦」は終結したが、「新冷戦」があとに続いている。
(2020.10.01 民団新聞)