掲載日 : [2020-10-20] 照会数 : 4636
<寄稿>民族自滅につながる「連邦制統一」(下)
[ 北韓による砲撃を受けた延平島(2010年11月23日) ]
金日成の「高麗民主連邦共和国」構想から40年
「首領制」放棄が必須条件
金一男(韓国現代史研究家)
◆「連邦制統一」は民族自滅へのワナ
そもそも、完ぺきに疲弊した平壌政権が生き残ることができたのは、そして核開発を強行できたのは、北の背後に中国とロシアが防壁として存在したからである。韓国が北の計画的侵略にも関わらず生き残れたのも、米国の援護があったからだ。
民族統一問題がすぐれて国際的テーマであることを片時も忘れてはならない。
1953年の「6・25」動乱停戦後、67年間の「平和」を通じて、韓国は世界10位圏の経済大国として成長した。また1990年代後半、「苦難の行軍」があったとはいえ、圧制にあえぐ北でもいくばくかの成長を記録している。人々は日々の生活を生き抜いている。
平和に取って代えるほどの理念や目標は、どこにも存在しない。平和は貴く、この平和をみずから破壊するような冒険的行動は許されない。
「連邦制統一」は構造的にあまりに不安定であり、「内戦」の勃発を確実にする道である。「民族の大義」どころか、民族自滅の選択であると言わねばならない。
◆無視できぬ国際的安全保障体制
もしもわが民族の再統一が、分断国家の一方の憲法を選択的に統一憲法と定め、統一総選挙によって社会全体の等質化を完了したベトナムやドイツのような「吸収」型のケースでないとすれば、残された可能性は限られている。
その可能性は、現在よりも改善された新たな国際的力関係のバランスシートの上で、つまりは周辺諸国家の一致した祝福を得て、はじめて可能であると思われる。
その場合は、南北の両国会で十分に吟味された「統一憲法」採択を経て、中立国監視または国連監視を前提する「南北統一総選挙」の実施による統一実現を図ることになる。
そのような形式での民族再統一実現を目指すのもまた、すぐれて「自主」的な選択肢と言わねばならず、この「自主」を裏付ける基盤は民族内部における、南北相互における「民主」的合意形成の熟練にあるだろう。
だが、民主的手続きを排除して「自主」を標榜する「連邦制統一」論は偽りの民族統一論であり、民族自滅の道筋である。「統一運動」の名において民族そのものを滅びに導く「冒険主義」は許されない。
◆「民族統一」と矛盾する「唯一思想」「首領体制」
第三に、北の「主体思想」および「首領体制」は「民族統一」の理念と矛盾し、彼らの主張する「連邦制統一」論とも矛盾する。
「主体思想」は絶対的な「唯一思想」と定義されている。そしてその「主体思想」は、特定家系の血統を引く「首領」の領導によって初めて実現されるものと規定されている。そこでは、多様性は複数原理と共に完全に否定されている。
組織的な個人崇拝扇動と長期的な洗脳教育によって、凄惨な同族間の戦争に責任を負うべき人物が「英雄」とされ、「民族の太陽」にまで祭り上げられている。
異質な社会統合原理を民族の情愛に基づいて接合すると言いながら、多元性を拒み、多様性を否定することは、矛盾である。多元性の原理は権力的な拡張を求めない。だが多様性を拒む原理主義は攻撃的であり、本質的に拡張的な原理である。
北が「主体思想」の唯一絶対性を「首領体制」と共に放棄しない限り、複合原理としての「連邦制統一」を主張することは詐欺的行為だと言わねばならない。「連邦制統一」に潜む「内戦」の危険は、「唯一思想」と「首領制度」の持つ暴力的本質の中にその根源として根差しているからだ。
◆「連邦制統一」は冒険主義的・自滅的構想
「連邦制統一」論は、排他的な原理主義と複合的な多元主義を機械的に接合するものであり、矛盾の体系である。「連邦制統一」論は、分断体制固定化の意図から出発し、内戦の引き金となる敵対的要素を埋め込んだものであり、冒険主義的かつ自滅的構想である。
本来の民族統一は、南北の両国会において批准された共通の「統一憲法」制定を唯一の基礎としていなければならない。さらに、「南北統一総選挙」実施を通じた「南北社会の等質化」についての民族内部諸勢力の合意が必要とされるばかりでなく、東アジアの地域的勢力均衡の変更に関わる安定した国際的集団安全保障、すなわち周辺諸国の一致した承認と祝福とを必要とする国際問題でもある。
民族統一の問題は、一国における武力を含む国家権力構造の全面的再編の問題であると同時に、重大な国際的力関係の変更に関わる問題である。
統一問題は、同胞としての民族的情念に基づきながらも、すぐれて現実的かつ理性的な課題であって、冒険主義は許されない。
(2020.10.19 民団新聞)