掲載日 : [2021-08-04] 照会数 : 7152
東京五輪・安昌林努力の銅…在日選手45年ぶりメダル
[ 表彰式で銅メダルを手にする安昌林 ] [ 3位決定戦では背負い投げで勝利 ]
東京五輪の柔道男子73キロ級が7月26日、日本武道館で行われ、在日3世の安昌林(27)が3位決定戦で、オルジョフ(アゼルバイジャン)から終了7秒前に背負い投げで「技あり」を奪い、銅メダルを獲得した。在日同胞としてのメダル獲得は朴英哲が銅(76年モントリオール)を獲得して以来、45年ぶりとなる。
「同胞の支援に感謝」
安昌林は初戦となった2回戦から3回戦、準々決勝をいずれも延長戦の末に突破した。準決勝も延長にもつれ、指導3回を受けて反則負けとなった。
試合後、「金メダルを取れず納得できないが、後悔はない」とし、「東京五輪に向けて準備し、実力を引き上げるため全てのことをした」と話した。
安昌林は筑波大の2年生だった2013年に全日本学生柔道体重別選手権で優勝。日本代表チームの帰化要請を断り、翌年、韓国の柔道強豪校として知られる龍仁大学に編入した。
「当時、大学の監督から日本に帰化するつもりがないかと尋ねられたが、韓国籍は祖父と祖母が命をかけて守ったもの。韓国籍を維持したことを後悔したことは一度もない」と話した。
また、「在日韓国人は日本では韓国の人、韓国では日本の人と呼ばれる」とし、「差別があるのが事実」と話した。その上で、「オリンピックでメダルを取り、在日同胞に対する認識を良い方に変えたかった」とし、「私の姿を見て(在日同胞の)子どもたちが大きな力と希望を得てくれればうれしい」と述べた。
また、「私の精神的な基盤は在日同胞の社会で作られた」とし、「今も多くの在日同胞たちが支援してくれる。感謝を伝えたい」と述べた。
柔道の聖地と呼ばれる日本武道館での銅メダル獲得には「栄えある場ではあるが、試合の時は感情をすべて捨て、機械的に集中した」と話した。
ライバルである日本の大野将平とは対戦することなく五輪を終えたが、「対戦できなかったのは残念だが、今回の目標は大野(に勝つこと)ではなく、金メダルだった」と話した。
五輪で在日同胞としてのメダル獲得は過去、金義泰(銅=64年東京)、呉勝立(銀=72年ミュンヘン)、朴英哲(銅=76年モントリオール)の3人。安昌林は4人目で45年ぶりとなる。
東京生まれで京都育ちの安昌林は、小学1年で京都の地元道場で柔道着に袖を通し、地道に力を伸ばした。中学進学の際にすでに柔道で身を立てる覚悟を固め、優れた指導者がいた地元の八条中へ。「3倍努力」を心に決めて父と毎日の早朝練習など鍛錬を重ね、3年時に全国大会へ出場した。
強豪の桐蔭学園高(神奈川)に進んでトップ選手と競い合い、筑波大では学生大会の全国優勝を果たすまで力を付けた。日本国籍取得を勧められたが、大学2年のとき自らのルーツである韓国へ渡ることを決断。「在日の代表として戦う」と、強固な志を胸に秘めて戦ってきた。
韓国国体が転機
安昌林の「決断」には、高校3年の時、在日本大韓体育会の勧めで初参加した韓国国体の経験が大きかった。
2011年の京畿大会で初出場し国内種目の高校男子個人戦73キロ級で銅メダルを獲得した。韓国高校代表で当時、全国選手権王者の嚴在允(江原道)との準々決勝で安昌林は積極的な攻めを続け、判定勝ちし準決勝へと進んだ。
決勝戦をかけた呉インヒョク(忠清南道)との準決勝は、技ありなどでポイントを重ね、勝利が見えた矢先に、逆転の一本負けした。
安昌林は「一瞬の不覚でした。しっかり稽古し、必ず戻ってきて金メダルを狙います」と意気込みを見せ、この時から、本気で韓国代表を目指し始めた。
(2021.08.04 民団新聞)