在外同胞庁(李相德庁長)は2025年6月の「今月の在外同胞」に朴炳憲(1928~2011年)元民団中央本部団長を選んだ。慶尚南道咸陽郡出身の朴元団長は、1939年に12歳で渡日、解放後は在日同胞の青年運動を皮切りに、団長として民団を率いて在日同胞の権益伸張と母国発展のために献身した。
1950年に6・25韓国戦争が勃発するや在日学徒義勇軍として仁川上陸作戦に参加。明治大学在学中だったが、救国戦線に飛び込んだ。以降、龍門山の戦闘などの激戦地で祖国守護の先頭に立った。休戦後、日本に戻ってからは在日同胞の祖国守護活動を広く知らせるため、79年に仁川水峰公園に在日学徒義勇軍参戦記念碑を建て、民団団長就任後は参戦同志と共に東京の民団中央会館前に記念碑を建立した。
また、民団中央総務局長、副団長、団長に至るまで在日同胞社会を代表するリーダーとして活躍し、民族団結と母国発展のためにさまざまな支援活動を繰り広げた。70年に開催された大阪万博では、韓国館建設のために組織された在日韓国人万国博覧会後援会事務局長を務め、韓国館の建設予算を上回る70万㌦の寄付金を集めた。
さらには本国の国民を日本に招く母国家族日本招待事業を展開し、1万2000人が大阪万博を訪れた。
85年に第38代民団団長に当選し、88年のソウル五輪開催成功に向けた支援のために結成された後援会の名誉会長を務め、525億ウォンを集めて母国に伝達した。この伝達金を用いて体操や水泳、テニスコートをはじめとする五輪競技場や宿泊施設のオリンピックパークテルなどが建設され、88ソウル五輪の開催を成功に導いた。
ソウル五輪開催を目前にした87年には、全世界の同胞に「海外韓民族代表者会議」の開催を呼びかけ、各国の同胞指導者303人を東京に集めて会議開催を実現した。
朴元団長は日本で収めた成功を土台に、母国の経済発展、地域社会への還元などにも積極的に乗り出した。73年、ソウルの九老工業団地に電子部品会社の大星電機を創業し、日本で習得した先進技術と資本を取り入れて産業化に尽力し、在日韓国投資協会と新韓銀行の設立を主導することで在日同胞企業の母国投資の活性化と金融の発展に貢献した。87年には故郷の咸陽郡に桜1万2000本を寄贈し、毎年多くの観光客が訪れる白雲山桜祭りの土台を築いた。
韓国政府はこうした功績を称え、75年に保国勲章の三一章、79年に国民勲章の牡丹章、89年に体育勲章の青龍章、94年に国民勲章の無窮花章を授与した。李庁長は「民団の精神的支柱であった朴炳憲元団長は在外同胞のアイデンティティと権益を守り、母国貢献に生涯を捧げた真の民族指導者だった。6月の護国報勲の月と韓日修交60周年を記念して韓国戦争参戦、母国への投資や後援など、多方面から祖国発展と韓民族の団結に一生を捧げた功績で6月の在外同胞に選んだ」と述べた。
朴相圭・在日韓国人本国会会長(ソウル在住の次男)は、「今年で没後14年が経過したが、韓日国交回復60周年という年にこのような栄誉を賜ったのも何かの縁だと思う。多くの在日同胞1世が鬼籍に入り、残り少なくなっている昨今だが、そのような時だからこそ、在外同胞の功績だけでなく、その思い、情熱というものを忘却してはいけないと思う」と述べた。