掲載日 : [18-11-12] 照会数 : 11967
「長津湖戦闘」戦死者追念式…崇高な愛国精神を伝授
第4回長津湖戦闘戦死者慰霊祭(主催・在日学徒義勇軍同志会、後援・在外同胞財団)が9日、韓国中央会館(東京・港区)で開かれた。大使館をはじめ、同志会や民団関係者ら約70人が犠牲者に哀悼の意を表した。
同志会日本支会の宋度栄事務処長が長津湖戦闘の概略を説明し、当時の記録映像が紹介された後、韓国から訪れた在日学徒義勇軍同志会の金載生会長があいさつした。
長津湖戦闘に参戦し、生き残った一人でもある金会長は「北韓軍の奇襲南侵で始まった韓国戦争に在日学徒義勇軍642人が韓国の自由民主主義を守るために自ら参戦し、戦った。犠牲になった135人のうち、83人が長津湖戦闘だった。尊い犠牲に対して祖国の平和統一で恩返ししたい」と誓った。
民団中央本部の呂健二団長(鄭夢周副団長代読)は「私が後退すれば、祖国も家族もない。私が守らなければならないという決心のもとに韓国を守った在日学徒義勇軍の崇高な愛国精神を記憶し、子々孫々まで伝えていく」と述べた。
また、「自由民主主義を標榜する韓国の主導で核のない韓半島に平和が定着するよう見守ってほしい」と護国英雄に呼びかけた。
続いて李讚範総領事、金成学国防武官、中央本部の辛容祥常任顧問、東京本部の金秀吉団長らをはじめ、韓国から来日した鄭重燮4・19革命遺族会会長、朴鐘吉大韓民国武功受勲会会長ら参列者一同が献花した。
宋事務処長は「在日同胞が救国のために命をかけた事実を本国の同胞は決して忘れない。歴史を風化させてはならない」と強調した。
長津湖戦闘とは
1950年に北韓の南侵によって勃発した「6・25韓国戦争」で最も過酷だった戦闘の一つとして知られるのが「長津湖戦闘」だ。
韓国戦争のさなか、1950年11月26日から12月13日まで米軍第1海兵師団が北韓の臨時首都・江界を占領しようと北上中に、咸鏡南道の長津湖渓谷で自軍の10倍に達する13万人規模の中国共産軍(中国人民志願軍)と初めて交戦し、国連軍が戦史上最大の退却を強いられた戦い。
米軍7師団の兵力一部と米軍に配属されていた在日学徒義勇軍などが参戦し、在日学徒83人が命を落とした。「食糧も銃も車のエンジンも凍る。死者の9割は凍死」という殺人的な寒さと何重もの中国共産軍の包囲網を突破した戦いで、在日学徒は死体も見つからず、行方不明者として処理されていたが、92年11月19日、韓国陸軍本部により戦死者として確定した。
韓国では08年から毎年11月11日11時を期して、国家報勲処が主管し、大韓民国のために闘い、犠牲になった国連軍兵士らが眠る釜山国連軍墓地の方角に向けて、追悼する国家行事として執り行っている。