掲載日 : [19-12-04] 照会数 : 12632
岡山のハンセン病療養施設の同胞を慰問…民団中央と岡山
[ 国立療養所長島愛生園内のハンセン病歴史館を見学中の民団岡山・金成植団長(左)と民団中央本部・鄭夢周副団長(中) ]
[ 納骨堂で献花・焼香を行う民団関係者ら ]
[ 元気な姿で一行を出迎えた槿友会の林博芳会長(右) ]
[ 7歳の時に独り身で入所した互助会の花村慶子会長(前列右から2人目) ]
【岡山】12月3日、民団中央本部の鄭夢周副団長と民団岡山県本部(金成植団長)、婦人会岡山本部(金愛子会長)の幹部らが岡山県の国立療養所を慰問した。
国立療養所長島愛生園内のハンセン病歴史館を見学後、納骨堂で献花・焼香を行った一行は長島愛生園の槿友会(林博芳会長)、邑久光明園の互助会(花村慶子会長、韓国名=許慶子)を尋ね激励し慰問金を伝達した。
元気な姿で一行を出迎えた槿友会の林博芳会長は「13歳の時に船に乗せられて入所した。当時は後遺症や偏見・差別などで苦しい生活を強いられてきたが、療養所内の同胞が互いに慰めながら懸命に生きてきた。今は地域の同胞たちが訪れてくるのを楽しみにしている」と笑顔を見せた。
7歳の時に独り身で施設に入所した花村会長は「入所して間もなく大阪大空襲で両親と兄妹を亡くした。成人してから療養所で知り合った男性と夫婦になったが、その後旦那も持病で亡くなり、一時期は心身ともに不安定な状態が続いた。当時、周りの同胞たちの支えが大きな力となった」と人生をふり返った。
慰問を終えた鄭副団長は「みなさんの過去の話を聞き、胸を締めつけられる思いで言葉が出てこなかった。悲しさと苦しさを背負いながらも、今なお、逞しく生きている姿は、在日社会が忘れてはならない歴史だ。是非また会いに来たい」と語っていた。