掲載日 : [22-08-09] 照会数 : 5960
広島と長崎で韓国人原爆犠牲者慰霊祭
[ 永年の念願だった「長崎韓国人原爆犠牲者慰霊碑」に献花する参列者(8月8日) ]
[ 慰霊碑に代表献花する民団広島本部の金基成団長(8月5日) ]
[ 公明党の山口那津男代表ら各級議員ら20人が訪れた(広島) ]
[ 長崎の韓国人犠牲者慰霊碑を訪れた公明党の山口那津男代表ら ]
広島と長崎で原爆によって犠牲となった韓国人を悼む、慰霊祭が5日と8日にそれぞれ執り行われた。
念願だった慰霊碑前で
【長崎】長崎への原爆投下で犠牲になった韓国人を追悼する、第2回長崎韓国人原爆犠牲者慰霊祭(民団長崎本部主催)が8日、長崎原爆資料館前に建立された「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」前と隣接する宴会場で執り行われた。
同慰霊碑は民団が94年から建立を手がけ、実に27年を経て昨年11月に実現した。原爆投下当時、長崎県内には約7万人の同胞が住み、数千~1万人とも言われる命が原爆の犠牲になったと記されている。
朴正煥団長をはじめとする民団長崎県本部の役員、駐福岡韓国総領事館の南宮煥副総領事、民団中央本部の呂健二団長、金春植監察委員長、婦人会中央本部の劉代永会長や福岡、佐賀、広島など近隣民団地方本部の役員と地元の高校生平和大使ら合わせて約70人が参列した。
まず、慰霊碑前で参列者献花の後、原爆が投下された午前11時2分に合わせて1分間、黙祷した。この後、参列者は隣接する会場に移動して慰霊祭に臨んだ。
主催側を代表して朴正煥民団長崎本部団長は「長崎同胞の念願だった慰霊碑前で慰霊祭が開催できたことを意義深く思う」としながら、「77年前、一発の原爆により無念の死を遂げた同胞の御霊のご平安を祈念し、二度と同じような戦争が起きないことを切に願う」と述べた。
南宮煥副総領事は、「76年の間、慰霊の碑がなく、申し訳ない気持ちだったが、昨年、建てられて幸いと思っている。慰霊祭が行われることは子孫として大事なことだと思っています」と話した。
呂健二団長は「慰霊碑の建立に努力してきた民団長崎のみなさん、協力をいただいた長崎市をはじめ、日本の皆様と駐福岡韓国総領事館の皆様に心から感謝を申し上げたい」とし、「広島と長崎の原爆投下による犠牲を胸に刻みながら、共に平和な社会を築くために努力しましょう」と呼びかけた。
この後、午後4時過ぎには公明党の山口那津男代表ら同党の各級議員ら10人ほどが韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れ、献花したあと黙祷を捧げた。
今年も規模縮小
【広島】広島原爆による同胞犠牲者を悼む、第53回韓国人原爆犠牲者慰霊祭は5日、広島平和公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で執り行われた。感染が爆発している新型コロナウイルスの影響でこの2年間と同様に、今年も例年の3分の1程度の規模に縮小して営まれた。
民団広島本部の金基成団長と役員、民団中央本部の呂健二団長、林始興駐広島韓国総領事や被爆団体関係者、各級議員など約130人が参列した。
また、死没者名簿には今年死亡が確認された16人が加えられ2802人が奉納された。
この中には、原爆投下から77年を迎え、7月30日に93歳で亡くなった在日韓国人2世で、自らの被爆体験を証言してきた韓国原爆被害者対策特別委員会委員長の李鍾根氏も含まれている。
李鍾根氏はこれまで自身の被爆体験を外国人、そして日本国内で多くの方々に証言し続けてきた。
8月6日「原爆の日」には被爆7団体の一員として日本の総理大臣との面談にも参加し続けてきた。
今年も慰霊祭の前日に、在日韓国人や日本の高校生を対象とした被爆体験講演会を予定していたほか、この日の慰霊祭にも参列予定だった。突然のお別れに心を痛めた方々も多くいた。
金基成団長は、「故李鍾根委員長をはじめ被爆者のご遺族の皆様に心より慰労の言葉を申し上げる。平和と命の尊さを次世代に伝えることが我々の使命だ。平和な世界・核の無い世界の実現に努力したい」と追悼辞を述べた。
林始興総領事は、「戦争と核兵器の恐怖が再び襲ってきている。戦争も核兵器も差別もない世界で永遠の平和を享受することをお祈りする」と述べ、呂健二団長も、「ロシアがウクライナ侵略で核兵器使用をほのめかしている。原爆によって犠牲になられた皆様方の教訓をもとにロシアのこのような言動を決して見逃すことはできない」としながら、「皆様方の犠牲を胸に刻みながら、子々孫々にわたり歴史をつなぎ、未来の子孫たちが明るく希望が持てるよう、共に平和な社会を築いていきましょう」と呼びかけた。
なお、同日、午後6時頃には公明党の山口那津男代表ら同党の国会・県・市議会議員ら20人が韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れ、林総領事、呂中央団長、金広島団長らと献花し、犠牲同胞の冥福を祈った。