掲載日 : [19-11-12] 照会数 : 13791
崇高な愛国精神を後世に…東京で長津湖戦闘戦死者慰霊祭
[ 追念辞を述べる呂健二民団中央本部団長 ]
[ 南官杓駐日韓国大使も「尊い犠牲心と精神は永遠に引き継がれる」と述べた ]
[ 献花し黙祷を捧げる参列者 ]
第5回長津湖戦闘戦死者慰霊祭(主催・在日学徒義勇軍同志会、後援・在外同胞財団)が8日、韓国中央会館(東京・港区)で開かれた。大使館をはじめ、同志会と民団関係者、大韓民国武功受勲者会、4・19民主革命遺族会などからら約70人が犠牲者に哀悼の意を表した。
同志会日本支会の宋度栄事務処長が概略を説明した後、長津湖戦闘に関する記録映画を上映した。
韓国から訪れた在日学徒義勇軍同志会の韓相潤副会長が追悼辞。韓氏は「韓国の自由民主主義を守るために在日青年学徒642人が自ら参戦し、この長津湖戦闘でも戦った。この尊い犠牲心と精神はこれからも永遠に引き継がれるだろう」と述べた。
民団中央本部の呂健二団長は「長津湖戦闘で83人の在日学徒義勇兵が戦死した。この犠牲の精神こそ、今日の大韓民国発展への大きな礎となった。今の時代を生きる私たちは、この崇高な愛国精神を後世にしっかり伝えていこう」と呼びかけた。
続いて南官杓駐日大使と、朴鐘吉大韓民国武功受勲会会長が追念辞を述べ、参列者が順に献花した。
◆長津湖戦闘と在日学徒義勇軍
韓国戦争のさなか、1950年11月27日から12月11日まで国連軍(米軍海兵隊第1海兵師団)1万7000人が北韓の臨時首都、江界を占領しようと北上中に、咸鏡南道の長津湖渓谷で自軍の約10倍に達する15万人規模の中国共産軍(中国人民志願軍)と初めて交戦し、国連軍が戦史上最大の退却を強いられた戦い。
米軍7師団の兵力一部と米軍に配属されていた在日学徒義勇軍などが参戦し、在日学徒兵83人が命を落とした。マイナス40℃以下という「食糧も銃も車のエンジンも凍る。死者の9割は凍傷」という殺人的な寒さと何重もの中国共産軍の包囲網を突破した戦い。在日学徒兵は死体も見つからず、行方不明者として処理されていたが、92年11月19日、韓国陸軍本部により戦死者として確定した。
韓国では08年から毎年11月11日11時を期して、犠牲になった国連軍兵士らが眠る釜山国連軍墓地の方角に向けて、追悼する国家行事として執り行っている。