掲載日 : [21-12-06] 照会数 : 8625
虐殺の国家責任を検証…民団人権委と法曹F共催人権セミナー
1923年9月1日の関東大震災で犠牲となった同胞らを追悼する「第3回人権セミナー」が4日、東京・港区の韓国中央会館で開催された。今回は主に千葉と埼玉における虐殺事件を取り上げ、組織的かつ広範囲な流言にかかわった国家の責任を検証した。民団中央本部人権擁護委員会(李根茁委員長)と在日韓国人法曹フォーラム(殷勇基会長)による共催。
テーマは「『忘れない!』回り道でも前進を」。共催団体の殷会長は「まず、事実を認定し、みんなで共有することから始めよう」と趣旨を説明した。民団中央本部からは呂健二団長が開会辞に立ち、人権と生活権問題を中心とした民団のこれまでの取り組みを振り返った。
セミナーでは3人の発表があった。
平形千惠子さん(千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会)が真っ先に取り上げたのは、大地震で通信が途絶えた中、内務省警保局長の名前で戒厳令と流言蜚語を船橋から全国の地方長官に伝えた海軍東京無線電信所船橋送信所の存在だ。
習志野収容所では軍隊が「くれるから取りに来い」とあえて民衆に殺させるために払い下げた。軍隊が負うべき責任を民衆に転嫁したのだ。ここでも国家の関与が問われているという。
平形さんは「(朝鮮人虐殺が)なかったということにしたいのだろうが、どうしてなかったといえるのか」と歴史修正主義への批判も加えた。
関原正裕さん(日朝協会埼玉県連合会会長)は「東京に於いて不逞鮮人の盲動これあり」として「警戒」と「方策」を呼びかけた埼玉県内務部長が発した「移牒」が自警団や民衆による虐殺につながったと報告。「朝鮮人を殺害した日本人民衆の責任は重いが、『移牒』が地域に届いたタイミングと内容を検討する限り、(移牒を作った)国家の責任はそれ以上に重大」と述べた。
東京を舞台とした記録映画「隠された爪跡」(83年)と同じく習志野収容所をテーマとした「払い下げられた朝鮮人」(86年)を制作した映画監督の呉充功監督は、犠牲者の遺族を韓国各地に訪ね歩いた新作に取り組んでいる状況について語った。
3人の発表が終わると会場との質疑応答が続いた。最後に大震災犠牲者の冥福を祈り参加者全員が黙とうをささげた。