李はスピードスケート女子500メートルで10年のバンクーバー五輪、14年のソチ五輪と2連覇を果たした。また、13年に打ち立てた女子500メートルの世界記録(36秒36)は現在まで破られていない。
自国開催の平昌大会でも金メダルが期待されたが、小平に次ぐ2位で銀メダルを獲得した。3連覇を逃し悔し涙を流す李を小平が肩を抱いてねぎらい、両選手が互いをたたえ合った姿は、平昌五輪の名シーンとして記憶されている。以下は李との一問一答。
――最終的に引退を決心したのはいつか。
「実は3月末に引退式を設定していたが、取りやめた。(選手生活を終えるのが)とても残念で、未練が残った。もう少しやってみようと思って復帰のためのトレーニングをしたが、コンディションが戻らなかった。今、終わりにするのがいいと考えた」
――今後の目標は。
「小学校1年生でスケートを始めた。自分の目標だけのために走ってきた。これからは余裕をもって暮らしたい。誰とも競争したくない」
――最も記憶に残っている瞬間は。
「ソチ五輪だ。スピードスケート界では世界新記録を出した選手はその次の五輪で成績が振るわないというジンクスがあり、怖かったが、私は打ち勝った。五輪2連覇を達成したこと、完璧なレースを展開したことで最も記憶に残っている」
――ライバルの小平と話をしたか。
「先週金曜日、引退の記事が出た後に奈緒からメッセージをもらった。冗談ではと驚いていた。記事が間違いならいいと。その時ははぐらかした。奈緒にはきょうの記者会見を通じて引退を伝えることになった。奈緒とは縁が深い。中学生の時から友情をはぐくんできた。奈緒はまだ現役選手だが、トップの座を守ろうと欲張りすぎるのではなく、やっていた通りにすればいいと思う。近く奈緒がいる長野に遊びに行って会う計画だ」
――指導者になる計画は。
「今後の計画はまだ立てていない。この先、指導者はできると思う。考えを整理したい」
――22年の北京冬季五輪では何をしたいか。
「解説委員またはコーチとして参加したい」
――記憶に残るライバルは。
「奈緒と競い合う前は中国の選手(張虹選手)と競った。当時は韓中戦という競争構図があった。韓中戦とともに、奈緒と競った(平昌五輪の)韓日戦が記憶に残っている」
――選手生活でつらかった瞬間は。
「平昌五輪の前がつらかった。メダルを獲得できなかったらどうしようとネガティブに考えていた。そうしたプレッシャーのせいで満足に寝たことがない。これからは穏やかに眠りたい」
――トップ選手になれた秘訣は。
「つらくても諦めなかった。あの選手もやっているのにどうして私はできないの、という思いでトレーニングに臨んだ。こうした考えができないことをできるようにしたのだと思う」