朝鮮通信使ゆかりのまちで全国交流
NPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会(縁地連)の「第31回朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会東京大会」関連の講演会が1日、東京・台東区役所で開かれ、約100人の関係者が全国から集まった。2日には、朝鮮通信使再現パレードが韓日友好の象徴・通信使をアピールした。台東区は朝鮮通信使使節団が泊まった東本願寺など、通信使とゆかりが深い。通信使の歴史的意義と文化をより多くの人に伝えようと上野では初の通信使パレードになった。
縁地連が多彩な講演会
講演会に先立ち、通信使の歴史をたどる映像が紹介された。通信使関連の「川越唐人揃いパレード」を18年間、実施した江藤善章前実行委員長が制作し、韓日善隣友好の象徴・朝鮮通信使の歴史的意義を伝えた。
慶應義塾大学の田代和生名誉教授は、通信使と朝鮮人参の関係について、江戸時代に唯一対等の外交関係にあった朝鮮との貿易で朝鮮人参は通信使が幕府、大名家に贈呈する必須の貴重品だったと明らかにした。当時の朝鮮は医学先進国で、輸入した朝鮮医学書「東医宝鑑(許浚編)」の中にも朝鮮人参が最高の薬だと記され、江戸では庶民の間でブームが起きた。人参を求めてトラブルも頻発したという。独占的に輸入・販売したのが台東区に多くあった「人参座」で、通信使の窓口だった対馬藩・宗家が取り仕切っていたと続けた。莫大な資金がかかる通信使に猛反対した新井白石との論戦で対馬藩に仕えていた雨森芳洲が白石の主張を退けたと宗家の記録に残っていると話した。
2年に一度、ソウルから東京まで歩く「21世紀の朝鮮通信使日韓友情ウオークの会(友情ウオークの会)」の遠藤靖夫会長は、韓国人ウオーカーと約50日間一緒に歩きながら日韓の言葉や文化、習慣の違いを超えて友情を育んできたこれまでの道のりを振り返った。来年3月に始まる第10次ウオークへの参加も促した。
東京文化財研究所の田良島哲客員研究員は、2017年10月にユネスコ世界の記憶遺産に登録された「朝鮮通信使に関する記録」の経緯と文化財保護の重要性を説明した。
通信使姿で東京・上野で初のパレード
2日のパレードは、東京韓国学校や地元の台東区立忍岡小学校、埼玉県のけやき学園の生徒をはじめ民団東京本部、各支部、青年会や韓人会のメンバーら約150人が上野広小路から上野公園内まで約1㌔を練り歩いた。隊列の一番後には兪曉久さんが率いる大田支部のサムルノリチームが農楽で盛り上げた。
先頭では帝京平成大学の吉藤玲子教授と忍岡小学校で韓国語を教える白河榮非常勤講師が日本語と英語、韓国語で朝鮮通信使をアピールした。東京で通信使パレードが実施されるのは2010年10月の日本橋パレード以来14年振り。通行人も公園に遊びに来た人も農楽隊が奏でる音と通信使の衣装に釘付け。盛んにスマホで写真を撮った。
ゴール後には、民団東京本部やアメ横商店街の関係者が記念式に参加し、通信使の正使役を務めた李壽源団長と徳川幕府将軍役・台東区の野村武治副局長の間で交わされた「誠信交隣」と「文化継承」と記した国書交換を見守った。
友情ウオークの会の森紀子さんは「平和な時代だからこそできる交流。東京で開催できたのは感慨深い。胸が熱くなった」と目を細めた。再現パレードの横幕をもって先頭を歩いた福施施設で働く任準晩さんは「政権交代で韓日関係に変化があったとしても民間の交流事業を継続してほしい」と望んだ。
ステージ周辺には韓日をはじめ多国籍の屋台が立ち並んだ。都内の支部で唯一お店を出した新宿支部の曺明支団長は「婦人会の皆さんと一緒に韓食を売ることで連帯感が増すことが嬉しい」と語った。台東区出身でパレードの警備を担当した保阪まさひろ都議は「地元で初めて通信使パレードが実現したのは何よりも幸せなこと。これからも民間の日韓交流を続けたい」と希望を語った。