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誠信の証復元したい 建築家 夫学柱さん
夫学柱さん
東館CG 東館は経済活動の場である。倭館最高責任者の「館守屋」、貿易のための「開市大庁(トレードセンター)」などが置かれていた。東館の建築は典型的な日本の武家屋敷だが、その屋根は朝鮮大工が自国の工法で建設している。向こうに見える龍頭山には現在、釜山タワーがある
在日ゆえの目線で
夢かきたてるCG画像

 江戸時代、現在の釜山・龍頭山公園一帯に日本人町が存在した。1678年に建てられたその倭館には約500人の日本人が滞在、200年にわたり日朝外交や貿易などの仕事に従事した。両国の歴史と切り離すことのできない倭館だが、建築に誰がどのような形で関わったかは、未研究の領域だった。この歴史の一頁に光を当てた在日韓国人3世の建築家・慶応義塾大学講師の夫学柱さん(34、東京・杉並区)に話を聞いた。

 2000年、修士論文として、CGによる倭館復元を終えた。また昨年は7年間におよんだ倭館研究の成果を、博士論文にまとめた。「鎖国時代の職人外交」と「倭館の誠信建築」を突き止めた。

 長崎・出島の25倍に相当する広大な敷地に建築された倭館。龍頭山を挟む形で東館には館守屋や町屋、開市大庁(交易場)、西館には副特送屋や参判屋などの建物が建築された。

韓国と日本つなぐ役割

 夫学柱さんが倭館の存在を知ったのは97年、大学4年生のときだ。当時、建築家を志し、卒業研究は建築の歴史と決めていた。迷わずに所属したのが、朝鮮通信使関連の施設や建築をはじめ、建築史研究で知られる三宅理一教授の研究室だった。韓国語の堪能な夫さんを三宅教授はチームのリーダーに据え、倭館研究がスタートした。

 だが倭館も朝鮮通信使の存在も知らなかったという夫さん。歴史書を紐解いていくほどに、「日本の植民地時代よりはるか以前に、善隣友好の交わりがあったことを知り、自分の既成概念がひっくり返るくらい驚いた」。さらに興味を引いたのは、「倭館に住んだ日本人に、在日のアイデンティティが重なった」ことだった。

 「倭館の建築には誰も興味を示さなかったときに、これを復元するのをテーマにしようと思った。自分が建築の道を選んだこと、在日韓国人だからできること、そういったものが全て重なってできるプロジェクトだった。そのとき、自分でなければできないと思ったし、自分の人生でやるべきことだと感じた」。両国の狭間で生きる在日の思いが、背中を押した。

 研究が始まり何度も釜山を往復した。両国で古文書を収集し、フィールド調査なども行った。だが韓国では「植民地支配の拠点になった倭館なんて研究をする必要はない。在日だからそんな歴史に興味を持つ」と何度かいわれた。心に重く響いた。「僕は韓国人と日本人の立場になって物事を考えられる。だからいつも韓国と日本を引っ張ってつなげてやろうという思いがある。そこに無限の可能性を感じる」

 00年に絵図や図面などの史料から、修士論文としてCGによる倭館復元を終えた。倭館建築が両国の様式を混交したものだと、その大枠が判明したという。広大な敷地に悠然と構える倭館建築の数々が、悠久のときを経て、その全貌を現した。

 さらに博士課程で古文書の解読を進めた。博士論文をまとめるのに要した時間は7年。最初はどんなに古文書を読んでも韓日混合建築の証拠が出てこなかった。そのまま5年が過ぎ、博士課程の期限が迫ってきた。半ばあきらめかけた瞬間、「丸杭の屋根だから雨が漏る」、この文字に目が留まった。

朝日大工が共同で建設

 「丸杭」という表現こそが、屋根が朝鮮式だったことの証明だった。鳥肌が立った。やはり朝鮮と日本の大工が共同で建設していた。居住部分は日本大工、その上の屋根を朝鮮大工が担当していた。記録は、朝鮮式の屋根は雨が漏るから嫌だと、日本人がクレームをつけていた。倭館の建築は、日本人のように繊細な室内と、韓国人のように大胆な屋根をも持つ。日本と朝鮮の大工によって建設されたが、どちらの建築にも属さない「まるで在日韓国人のようだ」。そう思うと震えが止まらなかった。

 修理記録には「両国とも誠信の心で修理するように」の一文が書き記されている。「誠信」とは雨森芳洲の外交思想であり、工事現場の職人にいたるまで、その心構えが浸透していたことに驚きを隠せない。

 夫さんは今年5月、釜山市庁で開催された朝鮮通信使学術シンポジウムで、両国の大工が喧嘩をしながらも、職人同士が外交をしていた様子をまとめた「草梁倭館の韓日誠信建築〜近世の職人外交と建築技術の混交〜」を発表し、大きな反響を呼んだ。

 同市で10年まで実施される「観光町づくりプロジェクト」が立ち上がった。夫さんは倭館の建築で、雨森芳洲が滞在した裁判屋(日朝間の折衝役の館)を龍頭山の倭館跡地に復元したいと考える。夢は韓日共同の世界遺産。同市への働きかけはこれからだ。実現すれば、韓日の子どもたちを集めて、歴史教育や体験学習などのプログラムを展開したいと話す。

 大学4年のときに出会ってから10年。コツコツと続けた倭館研究の地道な努力が、大きな夢へとつながった。「最初の倭館に対する感動で、研究を続けてきたのは間違いない。10年間、きちっと歩むと何かがつながるんだと思った。これから夢を共有してくれる方たちの力を借りたい」と、次のゴールに向けて歩み出した。

(2008.7.16 民団新聞)
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