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祖先<雨森芳洲>の志大切に
10代孫秀治さん
新時代の韓日交流へ膨らむ想い

「ぼくは草の根で」
病院学級で奉仕の心知る

 「人間同士の触れ合いや、言葉を通して日本と韓国、北朝鮮関係で何か寄与できれば」。今年2月、ソウル市の延世大学校政治外交学科を卒業した雨森秀治さん(31、奈良県宇陀市)は翻訳、通訳などの仕事で韓国と日本を行き来する。大学在学中に自分のやるべき方向を決定づけたという奉仕活動、そして江戸時代中期の儒学者で、朝鮮との善隣友好関係を深めた雨森芳洲を祖先に持つ思いなどを聞いた。

 現在、韓国にある出版社の契約社員として、韓国と日本を往復する生活が続く。取材当日、翻訳を手がけたという書籍を持参してくれた。

 韓国と関わって6年目。高校2年生のとき、祖父から初めて10代前の祖先、雨森芳洲の話しを聞き、びっくりした。そのときから芳洲や朝鮮通信使に関する資料や書物を調べ、滋賀県伊香郡高月町の芳洲の生家を何度も訪ねるなど、勉強を重ねた。芳洲の生き方や考えを知るにつけ、「韓国に行ってみたい」という思いは膨らんでいった。

 25歳のとき、それまで勤めた貿易会社を退職。「両親も同僚も反対した。でも韓国語を勉強した後、日本と韓国、北朝鮮関係で自分のできることで関わりたいと思っていた」。ソウルにある西江大学校の語学堂で1年間、韓国語を学び、04年3月、延世大学校政治外交学科に入学した。

 雨森さんは芳洲との関係を誰にも明かさずに過ごした時期がある。韓日にまたぐ有名な祖先を持つことは、時として雨森さんを苦しめた。

 高校時代、歴史教師から芳洲とのつながりを聞かれた。当時、勉強が苦手だったという雨森さん。教師は「芳洲の子孫なのにどうしてそんなにできないのか」と吐き捨てるように言った。それはトラウマとなり、以来、関係を心のなかに封印したまま10年以上を過ごしたという。

 「周りから言われるのは嫌だったし、プレッシャーがあった」

 留学当時に抱いた思いを、さらに「自分のやるべきこととして、具体的に教えてくれた」のは、延世大学校での4年間、奉仕活動で関わった延世大学校医学部付属セブランス病院の院内学級だ。 同学級は00年12月に開校された韓国政府公認の病院学校。白血病や重い病を抱えながら長期入院生活を送る5歳から19歳までの子どもたちが、英語や数学、音楽、美術などを学んでいる。教師は奉仕活動で参加した学生たち。雨森さんは毎週1回、日本語を教えた。

 当時、歴史教科書問題や、独島(竹島)問題などで韓日関係が険悪化していた。子どもたちから「独島は私たちの島」と言われ、意見を求められたこともあった。「反対側から見ること、客観的に見ることなど、いろいろなことを子どもから教わった」

 雨森さんにとって、院内学級の授業は何よりも大事な時間だった。「そこは生と死の現場。今日会って最後かもしれない。生徒が亡くなったことも多かった。辛くて止めようと思ったことも何回もあった。でも生徒たちは一生懸命、勉強をする。自分もそれに応えなければと思った」

 もちろん、嬉しいこともあった。退院した生徒が「元気になった」からと毎週のように顔を出し、「秀治のおかげで日本に対するイメージが変わった。日本語を勉強して日本に行きたい」と夢を話してくれた。大学の同級生2人も手伝いたいと名乗り出てくれた。

理解し合ってつき合う教え

 4年間の奉仕活動は雨森さんの精神を鍛えた。すべて「生徒のおかげ」だと感謝する。

 雨森さんが芳洲に惹かれるのは、隣国の言葉を学び、歴史や風俗、習慣などを理解したうえで外交にあたったことだ。「おじいちゃんは国と国との関係だったが、僕は個人と個人の付き合いを大事にしながら、お互いの歴史や文化を知らない人たちに伝えていきたい」と民間レベルの草の根交流をめざす。

 昨年、奉仕活動する記事が韓国の新聞で紹介された。「売名行為」だとするメールや電話が寄せられた。だが雨森さんを支えたのは子どもたちの真摯な姿であり、「勇気をもらった」という人たちからのエールだった。

 「芳州の志を引き継いでいきたい」という。「両国の人たちがお互いを理解しあえるように、小さなことから始めたい」と、目を輝かせた。

■□
プロフィール

雨森芳洲(1668〜1755)現・滋賀県伊香郡高月町雨森で、医師清納の子として生まれる。18歳のころ江戸に出て儒学者の木下順庵に入門。1689年、師の推薦で対馬藩に仕官し、92年赴任。98年、朝鮮御支配役佐役を拝命、1702年に釜山に渡る。朝鮮語入門書「交隣須知」をまとめ、05年に朝鮮語を学習。11年、徳川家宣就任を祝う朝鮮通信使に随行して江戸に赴き、19年にも通信使を護行して江戸を往復。使節団の製述官が帰国後に著した「海游録」に活躍が紹介されている。61歳で朝鮮外交心得「交隣提醒」を著す。外交の基本は「誠信の交わり」と説いた。

(2008.4.16 民団新聞)
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