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<寄稿>クッが語る東アジアの連環 レンズで見つめた金秀男 |
野村 伸一
慶應義塾大学教授
忘れ去られた心の拠り所 遺志継ぎ再照射を
東アジアでは20世紀の戦争の時代が尾を引いている。しかも、今日、発展のための無限競争により新たな不安が各所で生じている。こんなときこそ、こころの拠り所が求められる。朝鮮半島の「クッ」の世界は東アジアにおいては十分に意味を持つ。それは根生(ねお)いの宗教であり、国や民族を超えた文化である。
とはいえ、今なおクッの世界は韓国はもちろん、東アジアの至る所で認知されていない。これは生活の隅々まで合理性を追求する近代都市社会の暗黙の了解である。これに順応したマスコミは従来の宗教観を再考することはできない。マスコミでは依然として世界宗教の範疇に属するもの以外は扱おうとしない。つまりクッのようなものは宗教紛いであり、知るに値しないものとしているようだ。
迷妄に抗して
この状況は朝鮮半島の主導的世論において一層、当てはまる。何しろ朝鮮王朝500年間、儒教は家門の規範、倫理として機能し、事あるごとに賽神(クッ)の迷妄、荒唐無稽さを糾弾した。それは朝鮮総督府も大韓民国も変わりはなかった。しかし、1970年代に入ると、韓国では真の民族文化への探求がはじまった。そして仮面戯(タルチュム)やパンソリが再発見された。さらにそれらの文化の根底に巫堂(ムーダン)のクッの世界があることがわかった。
金秀男(キムスナム)はこれにいち早く気づいた。通信社を経て1976年、全国紙の記者になった。その仕事は、「維新独裁」のもとで起こる激しい闘争、不正の報道である。記者はみな忙しい。迷信紛いの旧文化の記録などしている暇はない。普通はそうだ。
ところが、金秀男は数年の間に全国各地のクッの写真を撮り、その逐一に物語を見い出した。それが『韓国のクッ』20巻(1983‐93年)である。ここでは韓国庶民、とりわけ女性たちの喜怒哀楽が活写された。同時にそこでは政治や経済の表舞台とは縁のない人びとの死が慰撫された。歌舞を通して死者霊が呼ばれる。死者は遺家族に感謝しつつ再生の道にいく。『韓国のクッ』全巻の実に半数以上がこうした死者の弔いに関係している。
金秀男は1985年に独立した。次の進路は国内か、国外か。こんなとき、1986年沖縄での長期滞在が実現した。沖縄は日本の南島にあって不条理を強いられた。しかし、逞しい。そのさまは金秀男の生地済州島(チェジュド)と似ていた。さらに沖縄庶民の死と生の祭祀はクッの世界に通じていた。神女(カミンチュ)入りの儀式アラハンサガは巫堂の降神(ネリム)クッと同じことだ。沖縄の神酒(ミシャグ)の味は済州島のスンダリのようだ。口中で醸(かも)す造り方は韓国の東海岸でもみられる。
金秀男は沖縄にあって、アジアの祭祀に息づくものはクッの世界だという予感を得た。そして、アジアへ向かった。インドネシア、インド、ミャンマー、タイ、ベトナム、フィリピン、台湾、中国、至る所で家庭や村のクッをみて写真を撮った。その担い手の多くは韓国と違い、男巫である。しかし、祭祀の本質は神、霊との交わりであり、女性に支持されていることは共通していた。アジアは今「発展」のさなかにあるが、取り残された人もまた多い。金秀男は結果的にそんな人びとのこころの拠り所の現場をみて歩いた。予感は的中したのである。
民族・国家超え
アジアのクッの世界に共通する思いは死者霊の再生である。2009年夏、台湾南部では台風禍により、一村の人が亡くなった。その直後、道士も僧侶も死者たちの慰霊に尽力した。理不尽な死は放置しない。死のいわれを語り歌と舞で供養する。東アジアの庶民世界にはこうした不文律があった。それは民族・国家を超えている。
都市化する現代社会の日常では忘却されてしまったが、クッの世界の根はやはり生きつづけている。それらを繋いでこそ東アジアの中に具体的な連環を見い出すことができる。金秀男はそれを先駆けて逝った。あとはわれわれの番ではないか。
(2009.12.9 民団新聞)
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