| 民団中央本部を訪問し在日韓人歴史資料館を見学=06年3月
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「朴槿恵さんが在日同胞の歴史と民団の役割について実によく知っていることに驚き、胸が熱くなった」。苛烈な選挙戦の最中から団員たちの間でこう交わされてきた。 槿恵氏はハンナラ党代表最高委員だった06年3月、民団を訪れて関東地区で300人、近畿地区で350人の団員たちと懇談した際のスピーチで、参席した団員たちをして今もそう語らせるほど強い感銘を残したのだ。 槿恵氏は民団の13年新年会に際しても、次期大統領として在日同胞へのビデオメッセージを寄せた。大韓民国と民団の65年に及ぶ歴史に触れ、「民団はその過程において、在日同胞社会の求心点としての役割を果たしながら、母国の発展にも大きく寄与」したとの簡潔ながらも滋味に溢れる言葉があった。 朴槿恵大統領は、60年代に借款を得るため西ドイツに赴いた炭坑夫や看護婦など、異境に暮らす同胞たちの苦労を忘れていない。なかでも、在日同胞のことは格別であるらしい。自叙伝でも在日同胞に詳しく触れている。 「差別と抑圧など言い尽くせない苦難の中でも、在日同胞は祖国のためならばいつも全力を尽くした。私たちが貧困から抜け出すためにもがいているとき、彼らは祖国の発展を願う一心で、ようやく築いた大切な財産を惜しみなく祖国に投資した。1970年代には、在日同胞の投資が外国人投資の総額よりはるかに多かった。それだけではない。88年にはソウルオリンピックの成功を祈願して、民団と婦人会が募金活動を行い巨額のカンパを贈ってくれた。IMFのときも、またもや変わらぬ思いで真心をおくってくれた。 06年3月、東京の駐日大使館を訪問した。大使館は東京都心の広い敷地に堂々と建っていた。1960年代、同胞が土地を寄贈して大使館をつくったと聞いて心を打たれた。大使館ばかりでなく、日本にあるほとんどの総領事館も、同胞たちが土地と建物を寄贈したのだという。世界のどんな国も、同胞が自分の財産を投げ出して大使館や総領事館をつくることはないだろう。貧しい祖国に対する同胞の情を感じた瞬間だった。 今も日本には、韓国籍を保持して差別に堂々と立ち向かう2世、3世が多い。公職において差別を受けても、参政権を持てなくとも、彼らは国籍を放棄しないでいる。何と感動的なことか。私は今こそ、祖国が在日同胞に報いる番だと思う」 海外同胞に言及した部分は、「同胞たちの祖国愛は本当に並外れている。それこそが韓国の未来を明るくする財産中の財産である」と結ばれている。 (2013.2.27 民団新聞) |