Home > ニュース > 文化・芸能 |
疑問や悩みを解決する、日本最大級のQ&Aサイト「OKWave」を運営するオウケイウェイヴ代表取締役社長の兼元謙任さん(42)。2006年6月には名証セントレックスで株式公開を果たすなど、急成長を遂げている。だが同社設立までには、小学校時代に在日韓国人を理由に受けた壮絶ないじめを発端に、「死」を考えた入院生活、そして2年間におよぶホームレス生活を送るなど、波瀾万丈の歩みがあった。
体験バネに起業
いじめで病気、ホームレス生活も
現在、「OKWave」の会員登録者数は約150万人に達する。人間関係やパソコン、旅行、料理など多岐に渡る質問に対し、会員たちから親身なアドバイスや、解決策が投稿される。
「Q&Aサイトは、人と人をつなぎたいというモチベーションがなければできない。はじめは赤字で大変だったけど、最近は社会貢献といってくれる方がいる」。軌道に乗るまで紆余曲折はあったが、サイトを通して「人助けがしたい」という信念が勝った。
1966年、在日韓国人3世として名古屋市に生まれる。小学校5年生のとき、区役所の窓口での様子を、同級生が見ていた。翌日から「朝鮮人」だからと、殴られるなどのいじめが連日のように続いた。
「自分の人格が崩れていく」のが分かった。祖父を責め、両親をも恨んだ。体も心も病んだ。自律神経失調症になり、神経に菌が入ったことから原因不明の筋萎縮症状で車イスの生活を余儀なくされた。リハビリも拒否した。「死にたいと思っているし、どうでもよかった」
ある日、入院していたおばあさんが手相を見て「未来は良くなるから死ぬことなんて考えないで」と告げた。「後々まで、そのときの言葉が救いになった」。入退院は高校卒業まで繰り返した。日本籍取得は大学時代。ソウルの南大門に行った際、行商のハルモニから、植民地時代に韓国語を奪ったのは日本人と責められた。
「僕は韓国人ではないんだと。そのとき『痛みを知る日本人』として生きようと決めた」
89年に愛知県立芸術大学に入学。デザイングループ仲間と身障者のための製品をデザインしてはコンペなどにも出品。大学卒業後は京都のデザイン会社、名古屋の建設塗装会社に勤務した。その間、デザイングループ仲間とアメリカで仕事をする話が舞い込み、塗装会社は退社した。だが話は頓挫。活動に収入の大半を充てていたある日、妻から「別れたい」と離縁を迫られたことも。
仕事を得るため、わずかな所持金とパソコンを持って東京に向かった。頼りの知人からは断られ、帰るに帰れず、ホームレス生活を始めた。寝床は工事現場や公園など。コンビニエンスストアで残った弁当などをもらって食いつないだ。
気がつかないで吸い殻の入ったハンバーグを口にしたことがある。「俺はここまで落ちたか、このままではダメになる」と一念発起。その後、何度も知人のもとを訪ねるうち、仕事を回してくれるようになった。毎月1万円だけを残し、妻への送金を続けた。ホームレス生活は2年間続いた。
起業のきっかけはホームレス時代に依頼された、ホームページのデザインの仕事だった。ウェブデザインの経験はなく、インターネットの掲示板を知り質問した。「ルールが分かっていない」とそっけない回答が返ってきた。このときひらめいたのが、質疑応答専門のサイトだ。「質問に誠意を持って答えてくれたら、もし自分が子どものころにこういう掲示板があったら助けてもらえたかもしれないと思った」
株式上場後も共感の輪広げ
「幼少のころの体験は強く影響している。でもあのときの経験があったから、何が起こっても屁じゃない」。手相をみてくれたおばあさんや家族、これまで助けてくれた人たちにも感謝する。そして「在日は2つの国と文化を知っている存在。普通からはずれることの楽しさ」を実感してほしいという。
設立から今年で10年目、株式上場から3年目を迎える。10年に世界100カ国10言語にQ&Aサイトのサービス提供を目標にしている。「一般市民がののしりあうのではなく、手を取り合って情報を共有し、僕らは仲良くしていこうというのが一番で基本です」
(2009.6.3 民団新聞)
|
|
|
|