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| 1944年大阪生まれ。3歳で済州道へ帰国。五賢高校卒業後、来日。印刷会社に勤務し、1987年にニシハラ印刷(東大阪市)を設立。民団大阪布施支部支団長。3男・孫8人。 | 24時間稼働で一貫生産体制 ニシハラ印刷の韓日年社長
経済産業省の統計によると、05年の印刷業事業者は約2万5000社を数えるが、従業員10人未満が全体の4分の3を占め、零細業者が圧倒的だ。長い景気低迷や国際競争により、事業者数はこの10年間で2割も減少した。
40数年プロ魂で
浮沈の激しい業界にあって40数年、この道一筋に生き、中堅企業としての地歩を築いた。現在の社員は85人、06年度売上は18億円。
「日本生まれだが、3歳で帰国したので1世と同じ。地道に印刷業界で仕事を続けてきた1世は珍しいと思う。好きだから、ここまでやってこられた」
支えたのは、プロ魂だ。「ハンディをもってるからこそ、それをバネにしてハングリー精神でやって来た。人が嫌がる、できないことをやるのがプロだ。社会的な事業の末端で、日本社会で通用するものをやってみたいという思いが強かった」と振り返る。
高校卒業後、大阪に住む両親を訪ねて来日し、周囲の反対を押し切り、「日本語の文字を覚えたくて、印刷会社に入った」。
23年間勤務後、1977年に独立。「家を売ったカネを元手に小さな機械1台からスタートした。従業員は妻と長男の3人だけだった」。
寝る時間を惜しまず、機械をフル回転させた結果、普通の3〜4倍の売り上げを得た。「経営者ならば、いつでもそういう気構えが必要だ」と自負する。
カタログやチラシ、パンフレットなどを主たる商品にし、信用を得るため、「何でも引き受けた」。「あの会社に行けば無理がきく」ということで信頼感を積み重ねていった。
中小企業の町として知られる高井田(東大阪市)から3年前に移転、稲田新町の1000坪敷地に工場を新設した。
「現在のコンピューター時代は高品質とスピードが勝負。時代の流れをよく見極めながら、最新鋭の機械を導入している」。
24時間稼働させ、一貫生産体制が売りだ。印刷して半製品の状態で出荷するケースが多いなかで、最後の仕上げまでやる。効率性がよくないといわれるが、「商品に責任を持ち、顧客に対するサービス」を第一義に考えるからだ。
常に新陳代謝を
「誠実は信用 健康は幸福 質素は安定 反省は向上 努力は発展の道筋」を社訓とする。「努力なしでは成功しないということだ。日本社会では1つの道を貫き、信用を積み重ねてこそ信頼される。さらには、他人のモノまねだけでは通用しない」。 Препарат для возбуждения женщин серебрянная лиса подарит лучшие эмоции.
社員が働きやすい環境づくりを心がける。少子化の時代、印刷業界も横ばい状態が続くと予測されるだけに、女性社員には子どもを産むよう奨励し、出産すれば給与5万円を引き上げる。「日本に対する恩返しと考えている」。
「商売は生き物。人間の体と一緒で、常に新陳代謝が必要だ。民団も同じ。古いものも大事な面はあるが、少し新しいものに変えていかないといけない」。支部の団長として、若い世代が興味を持つ企画が必要だ、と強調する。
長男が専務、次男が本部長、3男が副工場長を務めるが、「経営のできる者に継がせたい。夢や目標がないと、会社は発展しない」。夢を追い続ける日々は続く。
(2007.7.25 民団新聞) |
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