「太極の旗を高く掲げて、がらんとした私の墓地の前を訪れ一杯の酒を注いでほしい…」。独立運動家だった梅軒・尹奉吉義士(1908〜32年)の記念事業会は18日、尹義士が義挙の2日前、2人の息子にあてた親筆遺書の写本を初公開した。上海・虹口公園義挙を控えて、2人息子の模淳と淡に宛てたもの。解放後、海外に流出し、1970年代終わりごろに韓国内に戻ったとされる。尹義士は1932年4月29日、日本軍戦勝祝賀会場に爆弾を投げて現場で取り押さえられ、金沢に移送後、同年12月19日銃殺刑に処された。記念事業会は19日、ソウル・孝昌公園の尹義士墓地で殉国73周忌追悼式を行った。(6面に関連記事)
(2005.12.21 民団新聞)
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