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<寄稿>李恢成著『地上生活者』第四部…金一男民団直選中央委員
李恢成著『地上生活者』第四部「痛苦の感銘」(2011年9月刊、講談社、3000円+税)

総連離脱の軌跡克明に
独裁加担の土壤突く…「自立的精神」排除に憤り

 「第四部」では1960年代から70年代、主人公趙愚哲が朝鮮総連を離脱する前後の、さまざまな事情が、実にねばり強いタッチで克明に描かれていく。この時代の南北および民団・総連関係の事件や人物がほとんどすべて登場する。

 第一章には、次のような率直な告白がある。

 「党第四次大会における金日成の殺し文句は人心を痺れさせるものであった。…数年内に共和国の人民は毎日『白米と牛のスープを食べ、絹の衣服をまとって、屋根瓦の家に住むようになる』と。分断国家はその自尊心の高さのゆえにつねに嘘をつき、その虚偽をてんとして愧じるところがない。その点で、南北はコインの裏と表の関係にある。ぼくがこのことに気づいたのは愧ずかしいことにずっとあとになってからだった。…当時のぼくは、北朝鮮の国体にたいする疑問はあったもののそんな懸念を押し殺し、選ばれた者の一人として革命に奉仕しようとおもっていた。なにしろ共和国の近未来は輝いており、それにひきかえ韓国では人民が春窮期になると草根木皮の生活にあえいでいるありさまだから、なんとしてもまず南朝鮮人民の苦しみを救わなくてはと一途におもいつめていたのだった。それが当時の愛族愛国の思考パターンであった。…中央学院でノートを取ったとおり、社会主義の優位性を説き、資本主義の全面的な危機を強調してやまなかった。」

 第二章では、当時、総連中央組織部長だった金炳植(作中では金丙植)が、平壤政権の指示のもとで通称「ふくろう部隊」を指揮し、総連内で自立的精神を持つ幹部たちを次々と「宗派分子」「内通分子」として暴力的に排除するプロセスの叙述が始まる。

 この動きは、北韓における金日成神格化のための粛清の嵐と軌を一にするものだった。このプロセスが完了したとき、朝鮮労働党と朝鮮総連は、指導者の指示には絶対服従する無能なサイボーグたちの全体主義的集団に変質していた。

 これに関する叙述は、第十六章で、当の金炳植自身が平壤に召喚されて失脚するまで、点々と描かれていく。「党中央」と呼ばれていた金正日と総連の韓徳銖議長は、内部の粛正が一段落した時点で組織内の反発をかわすために、すべての罪を金炳植一人になすりつけたわけである。

 この頃すでに平壤では、金正日が組織部門とともに宣伝部門を掌握し、映画、演劇、放送分野を「集体主義」的に改造し、メディアを総動員して金日成一族の神話的伝説をねつ造しながら、自分自身の将来の執権を準備していた。

邪悪さ許した諸条件

 こうして金日成は少しの過ちも犯すことのない神のような存在となり、金正日はその正統な後継者となった。やがてこの物語には、「三代世襲」というおまけがつくことになる。

 この過程で、北韓がどのように硬直的な社会となり、また金正日がどのように北韓人民の飢餓を代償にして権力維持のための核兵器開発を進めてきたかは、今日のわたしたちがよく知るところである。

 金正日は、将来、わが民族史上最悪の独裁者として記録されるだけの実績を十分に残した。彼は、自らの考えを直接に語らずして第三者に実行させ、その成功は自分のものとし、その失敗は幹部の責任とする。自分の手を少しも汚すことなく、実に多くの人々を、刑場で、強制収容所で、不毛な対南工作を通じて、非業の死に追いやってきた。

学ぶべきは三つの命題

 彼の父である金日成は、1950年の韓国動乱開戦の暴挙によって300万人の犠牲者の死について責任を負っているが、金正日が長年にわたって積み重ねてきた「実績」も、それに勝るとも劣るものではないであろう。

 たしかに金正日の邪悪さはまれにみるものではあるが、このドラマが最終章にたどりついた今、それを許した諸条件を見きわめるために、いくつかの命題を立てることの方が、将来のためにいっそう重要だと思われる。

 第一に、平等主義理想は集団主義を受け入れやすい。この結果、本末転倒が起こる。もともとは一人ひとりの個人の救済のための努力が、「全体」の、すなわち「権力者」への忠誠にすりかえられていくことになる。「全体」はもちろん「個」の集積だが、集積された「全体」はもはや「個」の総和ではありえないからだ。

 「全体」と「個」は峻別されねばならず、「全体」と「個」との利益の対立においては、一定の範囲において「個」の利益が守られるような社会の在り方が、結果として「全体」の利益につながると考えなければならない。

 第二に、「野心」というものの普遍性である。左翼であれ右翼であれ、革新であれ保守であれ、わたしたちの誰一人として、「野心」すなわち権力的欲求から自由ではない。「野心」はわたしたちを日々に生かしているパトスである。だが、一人の人間に長期間にわたり過剰な権力の行使を許すような体制は、かならず独裁者を作り出す。政治権力はつねに公開的に監視されているような構造の中に存在していなければならない。

 第三に、これが最も重要と思われるが、経済秩序の問題、なかんずく市場経済と私的所有の是非の問題である。

許されない虚構の推進

 社会主義の運動は、1917年のロシア革命前後からほぼ100年に及んだ壮大な社会実験であった。かつてマルクスは、プルードンの「人民銀行」構想について、私的所有の痕跡があるとしてこれを批判した。そして、「資本論」を通じて私的所有に基づかない交換経済体系の可能性を模索した。

 これについては、二つのことを結論的に指摘できる。

 一つは、私的所有を廃棄した計画経済は、結果として経済を全面管理する政治権力の過剰な集中につながり、政治的独裁の温床となった。

 二つ目は、市場経済は人間の経済活動の自然的条件であった。人間は、経済活動においてもその自然的条件を離れることはできない。そして、私的所有と市場経済は生まれながらの双生児であった。わたしたちに可能な努力は、これを廃棄することではなく、これをどこまでコントロールできるかに尽きる。

 19世紀の古典派経済学が目指したものは、絶対主義による経済の独占的国家管理を批判することであった。そこでは、自由放任にもとづく「市場経済」の原理が実に美しく語られている。だが、その後、現実に発展した市場経済は、必ずしも原理どおりに「公正」なものでも、「公開性」が保障されたものでもなかった。財は既得権層の手に集中され、富は偏在しつづけた。

 20世紀における経済の全歴史は、この現実を修正する作業だったといっていい。そして、この作業は今も続けられている。分断体制を乗り越えようとするわたしたちのすべての努力も、この修正作業の一環としてあるべきであり、人間生活の根底をなす経済については、いかなる虚構を語ることも許されないと考えるべきである。

葛藤の連続見事に描く
「現代の語り部」に期待

 再び「地上生活者」にもどろう。

 第四部の主役は主人公趙愚哲ではなく、むしろその友人「宋東奎」である。趙愚哲と趙愚哲の分身というべき宋東奎とのかけあいを通じて、趙愚哲の内面と時代の流れが立体的に映し出されていく。見事な手法である。

 第二十四章では、かつて著者の持論であった「自生的社会主義」が登場する。「なによりも問われているのは民主主義であった。…その国家は北朝鮮のようにカイライではない本当の複数政党を持つべきであった。プロレタリア独裁というのはどうしたって現代の風土に合っていない。つまり議会制民主主義こそが重要だった」と語られている。

 第四部全体の最終章は、朝鮮総連の教条主義に迫害されながらも、「北であれ南であれわが祖国」との信条から独自に南の変革と統一運動を模索していた宋東奎が、韓国内の工作線の解体を決意し、「『在日』の問題をやっていく」と宣言するところで終わる。

 これからが、「現代の語り部」、李恢成氏の腕の見せ所である。高齢の著者に、このかけがえのない作品の完成のために変わらぬ健筆を期待したい。

■□
編集部より
民団工作も赤裸々…一時代を総括する大河小説

 「第四部」は『群像』2008年9月号から2010年7月号、2010年10月号から12月号まで連載された作品を一部改稿してまとめたもので、673ページの大冊である。『地上生活者』は2000年1月から連載され、この間すでに「第一部」から「第三部」まで、それぞれ700ページ前後の単行本となった大河小説だ。

 この物語は、第2次世界大戦が終わり、少年趙愚哲が樺太から日本に渡るところから始まった。自身が1935年樺太・真岡生まれであり、「ぼく愚哲は」という書き出しからして自伝的小説に違いない。だが、徹底した叙事的筆法で私小説の枠を超えている。

 朝鮮総連に連なった同胞なら抱かざるを得ない悔悟に、どう肉薄していくのか、見守ってきた同胞読者は多かろう。そこにはまた、在日同胞の歴史を根底から規定してきたものと、それがまた、祖国南北や統一運動とどう関わってきたのかを新たに照明することへの期待も込められている。

 「第三部」で、大学に入った愚哲は総連による「祖国帰還運動」たけなわの在日本朝鮮人留学生同盟(留学同)に加わり、様々な人物や出来事に出会った。「第四部」は、愚哲が総連を離脱する前後の生々しい事情が描かれており、いよいよ佳境に入ったとの印象を強くさせる。

 冒頭部分で朝青中央副委員長、総連中央委員であり、主として統一戦線分野で活躍している宋東奎の姿を見かけた愚哲は、4、5年前の民団団長選挙の際、彼から「一口でいうと中傷、誹謗文のたぐいで相手陣営の内部を攪乱させようとするデッチ上げの文章」のガリ版刷りのガリ切りを頼まれ、厭惡心を覚えながらも2、3度協力したことを思い出す。

 総連「第一副議長」として権勢を振るった金炳植一派による宗派狩りの犯罪性について、愚哲は宋東奎の見解をただす場面でこう言う。

 4・19学生革命以降、「民団はこれまでの『打倒対象』から『統一戦線』の相手にとって代わった。そのせいか、われわれの陣営から姿を消す人間が出てきている。いろんな口実をつけて相手陣営に入っている。/留学同関東にかぎってみても、金敏俊がへんな理屈をこねて出ていったが、いまは韓学同(注=在日本韓国学生同盟。総連のフラクションに牛耳られ、民団組織の破壊攪乱に加担、1972年、傘下団体認定取消)の革新派として活躍しはじめているだろう」

 総連の民団や韓国に対する工作の実態が随所で、赤裸々に語られている。各重要人物を実名で記しているほか、すぐそれと分かる仮名で登場させている。在日民族運動にある程度関わった同胞なら、誰のことか思い当たるはずだ。

 「第四部」の末尾は宋東奎の新たな決意で締めくくられる。「在日」の問題に関心を払わず、「統一」が先だという姿勢で一貫してきた彼が「これからは『在日』の問題をやっていく」と口にしたのだ。「七〇年代後半あたりから、『在日を生きる』といった新しい主張が二世の一角で起こりはじめていた。民団系か中立系の青年が多かった」と筆者は補足する。

 芥川賞受賞作『砧を打つ女』で気鋭の叙情的小説家として登壇し、曲折を経た老作家は、この物語ではたんたんと「語り部」に徹しようとしている。

 認識の相違に埋めがたい部分があるとはいえ、民団幹部にとっても必読の書だ。60年代から70年代にかけ、在日青年学生運動に携わってきた同胞たちはとくに、自己総括の意味からもこの語りに耳を傾けるべきだろう。

(2011.9.28 民団新聞)
 

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