| 最後の刊行となった『鳳仙花』第27号の表紙 | | 編集長の趙栄順さん |
「在日女性のつぶやき集」として創刊から22年間、「在日の生きた歴史」を紡いできた『鳳仙花』が、通巻27号で惜しまれつつ休刊した。8年前に呉文子さんから編集長を引き継いだ趙栄順さんが休刊の辞を民団新聞に寄せた。 在日の男文化の中に可燐な花 先月、『鳳仙花』27号の発送作業を終えました。 いつものように2日間をかけて、部屋いっぱいに雑誌を積み上げ、手伝いに来てくれた友人たちと共に、1冊1冊、手紙と一緒に封筒に入れ、封をします。 1年間、副編集長の堀千穂子さんと一緒に、企画を立て、取材をし、原稿依頼、編集作業と、本作りの素人の私たちにとっては、荷の重い仕事です。しかし、ささやかながらもまた韓国と日本との懸け橋を渡せたのではないかという自負と充実感があります。そして、新しい『鳳仙花』を手にした読者からの感想や感謝の言葉をいただくとき、ああ、出して良かったと思うのです。 ただ、今年は格別の感慨がありました。 22年間出し続けた『鳳仙花』を今年で休ませることになったのです。 数え上げてみれば、実に300の作品と100人近い書き手がこの雑誌に関わり、年齢で言えば10代から80代の書き手が『鳳仙花』の広場に集ったことになります。 1991年、初代編集長呉文子氏の「在日の女性たちのつぶやき集」としてスタートした文集は、ひとつの時代を経て、8年前に2代目編集長の私、趙栄順に引き継がれました。 創刊当時、『鳳仙花』は、儒教文化のなかで口を閉ざしていた在日女性たちのほとばしるような声を受け止め、在日の男文化の中に可憐な花を咲かせました。 時代は、88年のソウルオリンピック、韓日共同開催のサッカーワールドカップ、そして、『冬のソナタ』に端を発した韓流という韓国文化の奔流が日本に流れてきました。 『鳳仙花』も在日の女性たちの「身世打令」(嘆き節)から日本の友人たちも集う共生の場へと変わってきました。世代交代も進み、1世、2世の高齢化、3世、4世たちの日本人との結婚、帰化……。彼らは、韓半島に関わることをテーマに文章を綴るという切実なモチベーションを失った世代と言えるかもしれません。若い世代の声と姿を反映させたいという願いは失望に変わりました。 時代は大きく変わりました。 初代編集長が目指した峠を越えて、『鳳仙花』はどこを目指すべきか、ここ2、3年、私自身の課題であり葛藤でもありました。答えは出ていません。 『鳳仙花』は期せずして在日コリアンの生きた歴史になっています。私に残された仕事は、これをアンソロジーとして1冊の本にまとめることだと思っています。 最後に、創刊当時から『鳳仙花』を愛し、応援してくださった方々に、私の力不足を詫び、大いなる感謝を申し上げます。 有難うございました。 (2013.10.30 民団新聞) |