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家庭を守る伝承の路
韓民族は古くから農耕を営み、ビタミンやミネラルは野菜や自生の山菜から摂取したと考えられる。しかし、この蔬菜(そさい)類は冬の間は採れず、また新鮮な状態での保存も難しい。乾燥すると本来の香味が失われる。そこで塩蔵し長期間食べられるようにしたのが、漬け物文化の始まりと考えられる。
発酵食品のキムチが文献上に初めて登場するのは、高麗中期の文臣、李奎報(1161〜1241年)の詩文「家圃六詠」に出てくる、「蕪 を醤漬けして夏に食し、清塩に漬けて冬の総菜に備える」という句だ。ここの清塩した蕪 は、汁ごと食するトンチミだと類推する学者もいる。
朝鮮朝初期になると蔬菜類の栽培も活発になり、多くの外来野菜も導入される。蔬菜を塩漬けして熟成したものを、中期になって沈菜と表記するようになる。この沈菜が訛って後にキムチとなる。中期に至るまで唐辛子は使われていない。1600年末葉の要録によると、キムチの香辛料には山椒を使い、鶏頭や紅花が用いられ、紅色を楽しんだとある。
壬辰倭乱のころ導入された唐辛子がキムチに使われた記録は、18世紀になって初めて主婦の生活指針書である「閠閤叢書」や「増 山林経済」に登場する。
だが唐辛子を入れた白菜の株漬けが文献上に表れるのは1800年代末ごろである。それまで白菜という名の野菜は、菘菜の名で存在はしたが、根本から葉先にむけて広がっている不結球に過ぎなかった。
1900年代に入り品種改良された半結球の白菜が使われると、急速にキムチの材料の主流をなすようになった。今や韓国の食膳にはどの家庭でも2、3種類のキムチが欠かさず上がる。それが食事作法においての決まりでもある。
蔬菜の乏しい冬に備えて大量のキムチの漬け込み作業をキムジャンという。この行事は韓国の初冬の風物詩ともいえる歳時風習で、立冬のころ気温5度前後を最適期とし、最低氷点下に下がる前を基準として、ソウル地方を含む中部地方から始まり、キムジャン前線は南部地方へと降下していき、冬至前には終了する。
昔から良家に嫁ぐには、12種類のキムチの漬け方を知らなくてはならないと言われている。各家庭のレシピは存在しない。キムジャンを通して調理技術を母から娘、シオモニから嫁に継がれていく。
キムジャンはいわば伝承の場であり、経路でもある。
料理研究家 姜連淑
(2008.11.26 民団新聞)
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